この記事の続きです。
やよいさんの思考の学校の体験講座を受けた時に
やよいさんが、「この体験講座のお仕事編を受ける方は『少ない時間で、出来るだけ大金を稼ぎたい』と思ってる人が多い気がするんだよねぇ〜」と言っていたのを聞いて
そう思う方たちは、その仕事自体が楽しく無いからなのでは無いかなぁ?
と、思いました。
なぜなら、私は数秘セッションをしている時間が楽しいので
セッションの時間をなるべく短くしたい!とは思わないんですよね。
さすがに、丸々オフな日が無いのはイヤだけど
私にとっては遊んでいる時の様に楽しい時間なので、セッションが出来るという事が幸せで仕方ないのです💕
でも、楽しいとは思えない【お金の為だけの】仕事だったら、『少ない時間で、大金を稼ぎたい』と思います😁
*
私の場合、楽しく無い仕事だな、、と感じる仕事は、
【自分が、ただ機械の一部になったみたいな仕事】では無いかな?と思います。
そこに【自分】のエッセンスを入れる事も無く
ただ、決められた様に決められた動きを効率良くスピーディーにこなし、心の交流が何も無い仕事は好きでは無いです。
例え、その仕事ぶりや能力を褒められ(承認)
高額なお金をいただいたとしても
そこには楽しさや生きがいは、感じにくいかなと思います。
そこに従事する時間をなるべく減らして
生きがいを感じられるような事に身を投じたいと思うと思うのです。
(これが、冒頭の「少ない時間で、大金を稼ぎたい」に繋がる)
私が感銘を受けているフランクル氏が語る
人の幸せ(生きがい感)について
↓↓↓↓
先述したフランクルは、自らがアウシュビッツ収容所に投獄された経験から、人間にとって、もっとも生きがい感を与えてくれるのは、この自己超越の性質に近い「態度価値」であるとしています。
この「態度価値」は、自らのいかなる運命に対しても、勇気や愛といった、人間としての尊厳を守る態度をとることで実現される、としています。
人間が何かを創造したり、美しいものにふれたりするのも生きがいにつながりますが、それらは結局のところ、何かしらの対象がなくてはならない=依存的であり、いかなる時にでも実現できるものではありません。
しかし、人に対して愛のある行動をとるということは、死ぬ直前まで実行することができ、かつ、その自由は誰も奪いえない、とフランクルはいいます。
↑↑↑↑
(本が手元に無いので、こちらのサイトからコピペさせていただきました。)
人は、根源的欲求として
人と愛のある交流がしたくて
愛のある行動をしたいのでは無いかな?
*
私たちの「仕事」って、とても細分化されていて、愛の交流を実感出来る場面が減ってしまっているのでは無いかな?
と、ふと思いました。
また、愛のある交流を【当たり前】だとして、見えなくなっている場面もあると思います。
例えば、毎日使っているペン
これ一本を作って、私の手元に届けるのに、どれだけ沢山の人の【お仕事】が関わっているか!
ざっと書き出してみて驚きました!
ペンを販売してくれるお店の人たち
ペンの材料や工場の人たち、デザインしてくれた人たち、その会社を運営してくれる人たち
工場の機械を作った人たちや、その材料を加工してくれている人たち、
運搬してくれる人たち
運搬って事は、車を作った会社や工場...その材料を加工したりする人たち
運転手さんが運転出来るようにした、教習所の人たちや、健康維持をしてくれるお医者さんや美味しい食べものを作ってくれる人たち....
終わりが無い😅
永遠に繋がって出て来るし
もう、もう、全人類と繋がっちゃうんじゃない??
という感じ😆😆😆
私たちは、普段、ペンが使える事が当たり前だし、ペンを作っている人たちも、それが私の役に立っているなんて、いちいち考えてお仕事して無いと思うのです。
だから
やりがいを感じにくくなってしまっているのでは無いかなぁ??
*
私の知り合いに、とても愛のある活動をしている方が居ます。
宮崎トミーさんです。
全文は↓↓↓
彼女の様に生きたいなぁーー❤と思っています😊
その心がけが
自分も、周りの人たちも
幸せを感じる人生へと繋がって行くのでは?と思います。
幸せに生きるって
何かをなさ無くても
何かを創造しなくても
何かを得なくても
良いのかもしれないですよね😊
ちづ