出発時間は深夜てっぺんを軽く超えた、
2時20分に変更されたという。
それでいて“チェックイン時間は変わらない”ときたもんだ。
バスの中、軽い気持ちでメッセージを開いたひよこよさんは1人時が止まっていた。
もうローマの景色は入ってこない。
後ろの席では子どもたちと母が、
この旅で100回以上やっているであろう
決して盛り上がることのないしりとりを楽しそうにしている。
その声もひよこよさんにはもう届かないほど動揺していた。
そしてまだ何も知らずに隣でぽやぽやしている夫に向かって
『すみません、悲報です』
小声の最速早口でメッセージを見せた。
もう決められたことだ、仕方がない。
我々の力ではどうすることもできないし、従うしかないのだ。
とりあえずチェックイン時間は変わらないので、予定通りそのまま空港へ向かうこととなった。
電光掲示板で一縷の望みを賭けて現実なのかを確認したが、現実であった。
我々はあと10時間以上この空港にいることとなる。
まずは拠点となる場所を探さねば。
カップのリフィルを買えば飲み物が飲み放題のありがたさ、KFCを第一の拠点としよう。
ここでしばらく過ごす。
しばらくするとフライト会社のWizzから
“ごめんねメール”が届いた。
『ごめんなぁ、遅れてもうて。
1人12€のお食事券あげるから美味しいもん食べて待っとって!Enjoy!』
とバウチャーが届いたのはいいものの、
夜まで営業しているバウチャー使用可のお店は1店舗だった。
しかも拠点のKFCの隣のカフェである。
プリングルスでも大量に買っていこうと思ったのだが、ペットボトルなどの飲み物、お菓子系はまさかのバウチャー使用不可だと言う。
おくそさん極りなし。
“いただいたバウチャーは使わねばもったいない”と貧乏根性丸出しのひよこよさんは、
パンに全金額のバウチャーを投じた。
サンドイッチはひとつ10€前後のため、
あっという間に消えるバウチャー。
そして貧乏根性丸出しなものの、人間としての良心は辛うじて残っていたため
飲み物のリフィルで居座るのもKFCに申し訳なくなり、18時頃に搭乗ゲートへ向かった。
当たり前に誰もいない。
居座りKFCも申し訳ないが、
早く来たのは充電コンセント付きの座席を確保するためでもある。
20時を過ぎると随分人が増えてきた。
この人たちは今日同じ絶望を味わった運命共同体である。
夜も老けてくると床に服を敷いて子どもを寝かす親も出てきたり、
何なら親も一緒に床で寝る家族もいた。
どこでもいつでも眠れるひよこよさんの次男は普通に座席で爆睡していた。
ありがたく、羨ましい体質である。
ひよこよさんもたまにうつらうつら船を漕いだものの、全然眠れなかった。
そして深夜12時、ついにボーディングタイムが表示された。
搭乗開始は1時35分と出た。
深夜1時を回ると並び始める人々。
みんな文句を言わず、静かに時が過ぎるのを待っていた尊き人々である。
搭乗開始時間まで30分立ってでも、いち早く搭乗して座席に座りたいという気概を感じた。
しかし1時35分を回っても搭乗案内はされず、
しれっと案内開始時間が1時50分に延長された。
ため息と共に頭を横に振る、1時から並んでいた人々。
しかしもう30分以上も並んでしまっている手前、尊き人々は後には引けない。
変更された搭乗開始の1時50分が過ぎ、
そのまま自然と2時が過ぎた。
フライト時間は2時20分だ。
絶対に間に合わない。
案内開始をしたのは2時30分だった。
最初に並んだ尊き人々は1時間半も立っていたことになる。
そして搭乗ゲートを通過したあとは飛行機までのバス移動が待っているのだが、
このバスが1台目から全く来ず、さらに外で20分待った。
なにしとんねん
結局、飛行機が飛んだのは3時半。
ひよこよさんはベルトを装着した後の記憶がない。
気がついたらワルシャワに着陸していて、
CAさんに起こされたのだ。
家に着いたのは朝7時半を回っていた。
最後に大きな試練が待ち構えていた今回の旅。
飛行機を待つ間、何度
『いや、これが行きの飛行機じゃなくて本当によかったな』
と家族で話して気持ちを鼓舞しただろうか。
今まで遅延したことなどなかったのに、
よりによって御歳70のセミよぼよぼの母が一緒の時に限ってなのが悔しい。
母にはこういう豆鉄砲ではなく、
イビサ島の海辺でヌーディストの堂々たるウォーキングを見て衝撃を受けるくらいの豆鉄砲を受けてほしいのである。
無事に自宅へ帰り、日常が戻った。
母はあと4日で日本へ帰ってしまう。
母と次男がおまりーと散歩するのを見たり、
朝起きた次男がこっそり母のベッドに潜り込んで寝ている姿を見たり、
そんな日を過ごしていたら母が帰る日になってしまった。
ワルシャワに来た日、ぱんぱんに詰めたお土産を出した後に
『帰りはスーツケース空っぽだわね』
と言っていたのに、母は常に人に差し上げるお土産を買っていて来た時よりスーツケースをぱんぱんにして帰っていった。
母は自分用に、ポーランドの名産琥珀で作られた指輪を買っていた。
自分のジュエリーはあまり買わない母が、自分のために買ったのを見て嬉しくなった。
母は羽を伸ばせただろうか。
長野の山中で暮らしている御歳70セミよぼよぼなのに、世界一周バックパッカーくらい歩かせてしまって大丈夫だっただろうか。
時間の流れはなんと早いのだろう。
初日ワルシャワの自宅に着いた時に、
子どもたちと3人で母の体にくっついて実家の匂いを吸い込みまくったあの日から3週間経ってしまったのか。
ワジェンキ公園のショパンコンサートで、
ひよこよさん以外の家族が全員寝ていたあの日からもう3週間経ってしまったのか。
別れの時は空港の保安検査でなぜか止められ、くるくる体を回転させられている母を遠目で見ながら号泣した。
そして日本へ帰る飛行機を常にチェック。
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