母はあと少しで70歳となる。
初めて1人での長距離飛行の海外という大冒険である。
実家の長野から特急で東京駅へ出て、
さらに特急で成田空港へ行く。
オンラインチェックインや持ち込めるものの注意事項など、
こちらでやれることは全てやったものの心配極まり、夜中からしょっちゅう飛行機を追っていた。
14時間近いフライトを終え、大きなスーツケースと小さなスーツケースを押しながら母が出てきた。
出口付近を出産待ちの旦那のように落ち着かずうろうろ歩き、
母の姿を見つけては初めて歩き出した赤子のように駆け寄った。
心なしか小さくなったように感じた。
瞬間色々な感情が交錯したが、その感情よりも嬉しいが3馬身差で勝って自宅へと向かった。
母はスーツケースいっぱいにお土産を入れてきてくれていた。
『もし出来ることならば…可能ならば…』
とお願いしていた成田空港の出国審査後にあるセブンイレブンで玉子サンドとおにぎり、
マクドナルドで照り焼きとフィレオフィッシュも買ってきてくれた。
子どもたちと文字通り貪るように食べた。
この日ポーランドで食べられていたどのランチよりも贅沢なものだっただろう。
照り焼きがとんでもないパンチだった。
“TERIYAKI”ではない、これこそが“照り焼き”である。
母は私が作った、硬いにもほどがあるパンのサンドイッチを“美味しい”と言って食べていた。
雲のようなハンバーガーバンズを娘が食べ、
歯茎ごと持っていかれるようなパンを70おばあが食べるという、いきなりの親不孝をかましてしまった。
翌日以降は疲れを癒してもらおうとタイマッサージへ連れて行ったり、
色々な国のご飯の屋台が並ぶ、ブレックファーストマーケットなるものへ連れて行ったり、
ワジェンキ公園で夏季限定で行われるピアノコンサートへ連れて行ったり。
毎週日曜日の12時と16時から各1時間、
ピアニストがショパンの曲を無料で奏でる粋なイベントである。
ショパンは有名な曲が多いが、
知らない曲のターンになると母が夢の世界へ誘われてしまう。
それに続いて夫もすぐに誘われてしまう。
そして子どもたちにいたっては1時間フルに誘われたままだった。
母は分かる。
到着した日は歯茎持っていかれサンドを食べ、
翌日はタイマッサージで伸ばしたことない筋肉を伸ばされ、
その翌日は朝から中身が皆目見当つかないアルゼンチンソーセージとやらを食べているのだ。
経験したことのないものを怒涛のように秒で受け止めていては疲れるだろう。
ショパンの聞いたことのない曲で眠りに落ちることは十二分に分かる。
しかし最初から最後までしっかり起きていたのはひよこよさんだけであった。
その後は旧市街を回る日もあれば、
宮殿を回る日もあった。
母はあまりパシャパシャと写真を撮る系の人ではない。
なのでその母が街並みの写真を撮っているのを見ると嬉しかった。
“楽しんでくれてるかも”と思えるからである。
1週間が過ぎた頃、
おまりーがいつものホテルのお姉さんの元へ預けられた。
お姉さんは外に出ておまりーの到着を待ってくれていた。
夫とひよこよさん以外の抱っこを許さない彼女がひらりと持ち運ばれていった。
おまりーよ、息災であれ。
おまりーを預けてからはいそいそと旅支度。
さぁ、出発である。
よろしくおねしゃす。
投稿のお知らせやたまに記事を載せるインスタアカウントはこちら↓
こちらもよろしくおねしゃす。