息子たちの話をしよう。


ウラジオストクからモスクワ編を読んでいただいている稀有な古参読者さんたちは、長男の方が印象深いかもしれない。

長男は慣れない幼稚園やインターで健気に過ごしてきたが、
次男は当時まだ未就学児で、ただ母親と一緒にウラジオのおじさんたちと楽しく暮らしてきたからあまり表舞台には出て来なかった。


長男は今、小学6年生になった。




子どもというものは何事も覚えるのが早い。

が、それと同じで抜けるのも早い。


長男は英語を全て忘れたと言っても過言ではなく、

ポーランド赴任が決まった時から慌てて英会話を再開した。



話は逸れるが、同時期にひよこよさんも英会話を始めたが2日目で辞めた。

夫に

『英語やっとらんやろ』

と一瞬でバレて坊主も驚く早さでリタイアである。




子どもたちが日本の小学校に通う最終日、

ひよこよさんは先生にご挨拶をするため下校時に教室へ行った。



そこにはたくさんの友だちに囲まれ、

励まされて号泣している長男の姿があった。

その友だちの人数に驚いたほどである。




一方、小学3年生の次男は、

『またねー』

と後で友だちと公園で会う時くらいの軽い別れをしていた。


泣きながら別れを惜しむ長男とは対照的に、

次男は空港での祖父祖母との別れでさえ泣かなかった。





そして日本を発った。



ワルシャワの自宅に到着してすぐに買い物へ出かけたのだが、

車内から風景を見ている次男が、ほどなくして号泣し始めた。






彼は今、この風景を見て現実を思い知り、

事の重大さに気がついたのだろう。



言葉も看板の文字もわからない

表情の読めない、見慣れない外国の人たち

全く違う街の風景。



次男は到着して2時間でホームシックにかかった。



そんな次男を横目に、長男が静かに言った。




『泣くなら日本で泣いとけよ』




思わず笑ってしまったが、

長男との場数の違いを感じざるを得ない一言だった。



あのモスクワのインターで先生にずっと抱っこされて泣いていた長男はもういない。



彼は知っているのだ、これから自分に起きる厳しさも難しさも。

その『知っている』ということが、今は大事な武器である。


頼もしくもあり、寂しさも感じる何とも印象深い言葉だった。



そんな長男はたんぽぽの綿毛を見つけると

『吹きたい!』

と言うや否や





たんぽぽを抜かずに、自ら腰を曲げて綿毛をお迎えに上がるスタイルで吹いた。



母はそんな姿が嬉しいのである。



9月からインターナショナルスクールという、息子たち最大の試練がやってくる。



たくましく育てよ。




よろしくおねしゃす。




**いつも読んでいただき、ありがとうございます。
さんからのいいね!やコメント、フォロー登録などなどがとても励みになっております。


投稿のお知らせやたまに記事を載せるインスタアカウントはこちら↓



こちらもよろしくおねしゃす。