本当にあっという間に、今年も後2日。

今年は、コロナ禍で、長かったような短かかったたような、、、。

その中でも、社交ダンス、頑張ったけど、

あーーー、本当に🐤には、向かないダンスだなあー。と。

 

10年かけてやっと分かったんは、それだけかいってね。

 

自分を肯定したくて、はじめたダンス。

親の瞳の中に、いつも存在しない🐤。

その事が辛いとか寂しいとか、哀しいとかさえ

理解できていなかった幼い日。

 

でも、この歳になってやっと、

もうどうでも良くなった。

 

母が私を愛せなかった理由は、

私のわずかな障害のせいなのか、

性格のせいなのか、

器量のせいなのか、

 

どんなに考えても答えはない。

 

人の心に答えはない。

 

あるのは、その時の感情だけ。

 

女の子を産めば、もっと私の気持ちをわかってくれて、

話ができると思っていた。

ある日、母にそう言われた。

 

それから、🐤は、一言一句、

母の言う事を聞き逃すまいと、必死で聞いた。

 

で、母は、この間は、こうこう言ってたのに、

なんで今日は、こう言うの?

的な言い回しを何度もした。

 

今度は、いちいち揚げ足をとる情の怖い子だと言われた。

字が読めるようになってから、🐤は、毎日沢山の本を読んでた。

いつしか、本の内容を暗記できるようになった。

それと同じに、母との会話を覚えてしまう。

 

情の怖い子

その言葉は、今でも時々、🐤の胸を貫く。

 

幼い時に親から受けた言葉は、

自分以外の全ての人の言葉として、

受け取る。

 

自分は、嫌な人間だ。人を不快にさせる。

母を苦しめている。

 

小学校にあがってまもなく、わずかな障害のせいで虐めを受ける。

 

なんで、自分は、産まれてきたんだろう?

母に聞いた。

母は、言った。めんどくさそうに。自分も産みたくなかった。

もっと、可愛い子が良かったと。

 

だから🐤が、子育てで、たった一つ心がけた事は、

どんな事があっても、

死なないでいれる子に育てる事。

 

🐤は、妊娠中にカウンセリングを受けた。

もしも、産まれてくる子が女の子で、

その子を愛せず、母のような言葉を口にして、

その子を傷つけてしまったら、

どうしようって。

 

子供は、二人とも旦那そっくりの男の子。

 

一緒にいても親子に見えなほど、

似ても似つかない。

 

自分の子供だから、好きなのは、当然だけど、

🐤は、人としても、彼らが好きだ。

ほんと、良かった。

 

だから、もう良いんだ。

ダンスが下手なのも、

過去の事も。

 

もう🐤の人生は、🐤のもの。