昔、『佐渡国際トライアスロン(スイム3,8k/・バイク190k/ラン42,2k)』のスタート直前の6:30
海を見つめるウエットスーツの集団の中の誰かが叫ぶ、「絶対完走するぞー!」
大勢が、空に拳を突き上げて、「オー!」
また誰かが叫ぶ、「ガンバルぞー!」 多くが拳を突き上げて、「オー!」
小心者の私は、とても拳を突き上げる気持ちにはなれず、不安で黙~って海を見つめていました。
(溺れないだろうか。無事にバイクに移れるだろうか。リタイアしないだろうか…)
最近の長距離トレラン大会でも、誰かが叫んで、多くが拳を突き上げて反応する場面があります。
「今日は楽しむぞー!」 「オー!」
やはり気の小さい私は、そんな気持ちになれず黙~って前を見ているだけでした。
(ケガしないだろうか。完走できるだろうか。みんな、どうして楽しめるんだろー…?)
経験上、レース中は苦しいだけで、その時間を楽しんで走った事なんてほとんど記憶にありません。
先日、NHK番組『サンデースポーツ』での『バルセロナ・オリンピックスイマー・千葉すず』さんが当時
「オリンピックを楽しんだんだから、メダルは無くてもいい。」と話して、物議をかもしたエピソード。
「楽しまなければならない。」
という強迫観念にとらわれた結果、バルセロナ五輪でメダルを取れなかった、という解説。
誰かが、「楽しまなくていいんだよ。」と言ってあげたら、もしかしたら違う結果だったかも…という内容。
その結論にはすべて納得できないもの、他の点で目から鱗の驚きを感じました。
「えっ!楽しまなくていいの?」 …正直ほっとしました。
(一瞬楽しいと感じる時もあるけど、レースを楽しんで走った事なんか無いよ。)
しかしそれでも、人に話す時は「楽しんで来たよー。」と言う事しばしば。
それは、「レースを楽しんだ。」って言うとカッコイイと思われるから。
私もレースに出る仲間・患者さんに 「楽しんで来て!」と言います。
「ガンバってね!」と言うより、プレッシャーが掛からないように感じるからです。
しかし、自分で言っておいて、いつも何かしら違和感を感じていました。
<熊本城の修復は遅れています。(構造医学セミナー・熊本)>
けれども、本当に 「楽しかった」 と思う時があります。
自分が納得する結果のために、ハーハ-ゼーゼーしゃかりきで、楽しむ余裕なんかまったく無い。
そんな苦しい状況で、楽しんで走る事なんぞ、絶対にムリ。
じゃあ、いつ楽しんだと感じるのか?
それは、レースが終わって、いい結果が出た時
オセロのコマがひっくり返るように、『苦しさ・つらさ』が『楽しかった』に置き換えられます。
自分で納得できる結果が出た時、または人から褒めてもらえる結果が出た時、です。
しかし、似ているようでこの二つは大違い。
五輪の表彰台で、ニコリともせず銀メダルをかけている選手、満面の笑みで大喜びの銅メダルの選手。
金以外は認めてもらえない敗北の銀メダルと、誰も期待せず予想外に大活躍の『英雄』の銅メダル。
基準は、人から褒められるか、他人に認めてもらえるか。
背負う物の違い、世間の評価の高さ、国家の威信の有無、それと輝かしい過去の栄光と今のギャップ。
様々な条件・歴史・思いが絡み合っていて、一つの理由で計る事はできません。
しかしそれは多くの場合、他人の下す評価であり、他人の目を通して自分で自分の価値を決める事。
我々レベルなら、本当は全然楽しくもないのに「楽しんだ」と言う事で、余裕のある人に評価される。
また、「楽しむために走ったんだから、結果はダメでも価値はあった。」と言い訳ができる。
それでは、なぜ他人に言い訳をする必要があるのか、余裕がある人に思われたいのか。
それは、本気で頑張ったのに結果が出せないと、「能力も無いのに、無駄な努力をするのはカッコ悪い」
と『頑張った事がない人達』に評価されたくないから。
気の小さい私からすれば、「ほっといてくれ!」と突っぱねる勇気がないから。
でも、本当に頑張った経験のある人は、『頑張ったけど、結果が出なかった人』に低い評価は出さない。
その人が、「どんなに苦しんで来たか、自分と同じなんだ。」と感じるから。
「楽しんだ、と見栄を張らなくていいんだよ。」
と言ってもらえたらどれほど楽か。
「頑張ったけどダメだった…」 …素直に悲しめる。
人の評価を気にせず、自分の基準で素直に自分を評価できる。
人に認めてもらう必要はなく、ダメなら悔しいと思い、低い結果でも納得できれば素直に喜べる。
冒頭の、「完走するぞー・頑張るぞー。」は自分の基準。
「楽しむぞー。」は、本当に楽しむ人もいるかもしれないけれど、私にとっては他人に見栄を張る口実。
私にとってのレースは、ただ自分自身で納得できるように頑張るだけ。
私の結果なんぞ、世の中の誰にも価値はないんだから。
<熊本城天守閣の修復>
ところで先日引退した、横綱・稀勢の里関。
謙虚な人柄で、引退会見ではファンや周りの人たちにお礼を述べる、尊敬に値する方です。
「私の土俵人生において、一片の悔いもございません。」
この前後は「悔い・申し訳ない」という言葉があるのに、この一文が全て覆い隠してしまった。
もし、「復活を目指して頑張ったけれど、それができず志半ばでの引退は悔しい。」と、言ってくれたなら
私は、涙が出たと思います。
そして、多くの勝者になれず志半ばでやめていった人達が、どんなに救われたか。
この言葉は少しだけ、楽しまなければならない事、とつながるような気がします。
<2/11 埼玉県柔道整復師会の70周年記念式典>
【先週のトレーニング】
02/04(月):休 み
05(火):ウエイトトレーニング
06(水):休 み
07(木):①ラ ン:10,2キロ/1時間00分 ②バイク:スピニング60分
08(金):ラ ン:6,2キロ/36分
09(土):ラ ン:16.2キロ/1時間40分
10(日):休 み <土・日で構造医学セミナー(熊本)出席>
〖腰痛・膝痛 さいたま市北区,ふく山接骨院,福山眞弘〗