日本は安心な国家とは言われているものの、私は昭和40年代高度成長期に生まれながら戦火を浴びた集団を率いた上層部直下と北京就航の船上に立ち日本の最先端を走らせる人々に抱かれて居た日を思い出し、背筋がゾッとする思いです。行き場を血縁から離され非常事態を潜り抜けてきた1人でした。
その船上に居た人々を思い起こし`なう'に投稿してみました!
名付けるなら`ジャパニーズアルカイダ'と言った印象の集合体でした。
「カリフォルニア出身の太田神社の三重県出身者の娘の子みたいなのだと将来バイリンガルに負けるから敢えてカリフォルニア中学校から国籍をアメリカにしたのよ。」
「あら、遅れません?日本のミュージック業界に♪うちの近所に原さんと言うお偉いさんが居て、お坊っちゃんが男の子?女の子?って感じがするのよ。是非ジャニーズにって言ってあるんだけど…。」
「どうして潮らしくなるの?若い子供みたいな男子に。」
「あのぅ、僕はジャニーズ隊に出遅れてしまうタイプでしょうか?でしたら日本の国へカリフォルニアにも情報提供なさるよう命じてくれませんか?」
「あぁ、良い考えね。」
「情報ったって海を渡ればロス。ロサンゼルスの歌業界方がより進んでる!」
「良いじゃありませんか?私これからの行く末を見た気にしましたよ。」
こんな素晴らしい会話をなさっていたのに、ひどい役割をしたからネーミングもひどくなるんです。

この先導者は安倍一家でしたから、アメリカと中国にしか、捜査網が張れないのでしょう。
アメリカ国籍のみならず、中国籍を維持したままの日本人も居たでしょうから。
昨日は、小野寺の帰りに椥辻から昭和梱包前を通り餃子の王将社長の工場への道にも折れず真っ直ぐ歩いて帰りました!
中華料理店がこれからも繁盛しますように。
区民でないからランチに入れず、府立医大病院内でカレーパンとオレンジコーラを飲みました。
FBIを呼ぶ決心をつけながら…