*この記事の続きです*
産声を聞いて安堵したのも束の間、助産師さんの「胎盤産むよ~」との掛け声から、あれほど恐れていたお産や会陰切開などは比ではない失神しそうなほどの超超超激痛が下腹部にはしり、まさに麻酔無しで内蔵を引っ張っりだされてエグり殺されるのではないかという恐怖を感じる痛みものでした。これにくらべれば、お産の痛みなんて指のささくれを抜く程度でした。
陣痛が拷問なら、胎盤を引っ張られているときは「ついに処刑されるのか・・・」という感じ。
痛"い、怖い、助けて。
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胎盤をひっぱられる度に、絶叫せずにはいられない痛みに襲われました。これまでの人生で「死んでしまいたい」と思うことは沢山ありましたが、あまりの痛さに思わず「ゔぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!いだぁぁぁぁーーーいいいいっっ!!やめでぇぇぇぇーーーーー!!!だずげでぇぇぇえぇーーーーーーーーっ!!!!!!!ゔぉぉぉぉぉーーーーうぐぁーーーーーーっっ!!!!!!!」と叫んでいました。
立ち会いをしていた夫には、赤ちゃんの写真撮影を頼みつつ、胎盤も見届けて欲しくて「胎盤もみていて…」と意識のあるうちに頼んだのですが、胎盤剥離を試みられている最中にぶわっと大量に血がでるのをみて「医者にはなれない」と思ったそうです(゚ω゚)"
出血量は1570ml
輸血のボーダーライン
そうこうしているうちに、分娩室は騒然としはじめ、夫は廊下に出されて、私の視界は退色し、周りの声も次第に遠のいてゆきました。その間、点滴や測定装置がどんどん付けられて、そのうち、叫ぶこともできなくなって「目の前が黄色くなってきました…」「声が聞こえなくなってきました…」と自分実況をつぶやきました。あとは意識を失なったらそのまま戻ってこれなそうな気がしたので、ひたすら「あ"ー」「う"ー」と唸っていました。
そして、「(子宮を元の位置に)戻せ!」とか「旦那さんに輸血の同意書を書いてもらって!廊下にいるから!」とか、そんな会話が聞こえました。
総合病院なので死ぬことはないだろうと思いましたが、私はこのままどうなっちゃうんだろうな…とはやはり思いました。でも、それと同時に赤ちゃんの元気な姿は見届けられたので「もう、(私はこのまま死んでしまっても)いいか…」という気持ちもありました(^^;)
色々処置をしてもらっているうちに、次第に視界に色が戻り始め、周囲の声も明確に聞こえるようになりました。そして、痛みもやみました。しかし、意識はフワフワとしていて何を話したかあまり記憶にありません。(というか、5:00以降くらいからは何を話したかとか記憶が曖昧。)
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結果、子宮に胎盤が癒着して胎盤と一緒に子宮が引っ張り出される子宮内反症という状態だったそうです。麻酔無しで子宮を人の手で出されるとか…ほんと、二次元やその手の小説の中だけの世界であってほしい(((((゜゜;)ものっっっそい痛かったし、今こうして字におこしてみても背筋が凍ります。
最終的に輸血はせず、子宮も摘出せずに済みましたが、そのままMFICUに運ばれて丸一日は点滴や導尿やなんやらでベッドから出られませんでした。同時に2日間くらい37度後半の熱に見舞われました。今は授乳に行けるようになりましたが、相変わらずMFICUにいます。
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こうして赤ちゃんに会えるまで、お腹の赤ちゃんを守る=自分の身を守ること神経を磨り減らした10か月でした。しかし、産声を聞いて分離した瞬間、守るべき存在が独立した赤ちゃんへと変わりました。ICUに入ることになったのが赤ちゃんではなく私であったことが本当によかった。ただただ、それだけを思います。
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そして、自分のためにつけている記録ではありますが、(&最後は難産のレポートになってしまいましたが)同じ様なことで悩んでいる将来のママさんに少しでもお役に立てたら幸いです。