今日は18日
父の月命日です


豆菓子とアスパラガスと
お団子を作ってお供えしました



寒くなると父は
家の中でも
ニット帽をかぶっていました

足が悪かったので
スリッパを履かずに生活していた父は
厚手の靴下を履いていましたが
滑り止めが付いた靴下でも
ちょっとの段差さえつまずけば危険です

万が一にも
転倒した時に頭を守るために
家族がかぶるようにすすめたんです

寒い季節になると
父がニット帽をかぶっている姿を
思い出します



足が悪かったので家の中には
手摺りが付いていましたが
外では杖を付いていて
もう片方の手を
妹やヒヨコママや
時々娘が繋いで歩きました


東日本大地震の時
発生時間が昼間だったので
妹は仕事中で
母は大腿骨を骨折して
入院中だったので
築30年以上の実家に父が1人だったんです

妹とヒヨコママは
心配して家にも携帯にも電話しましたが
まったく通じず

妹もヒヨコママも
急いで実家に駆けつけたんです

たまたま実家の地域は
揺れが少なかったのか
家の中は普段と変わりませんでした

父は地震直後に
ダイニングテーブルの下に潜り込んで
揺れが収まるのを
ジッと待っていたみたいです

足が悪かったので
とても心配していました


そう言えば
父は災害時の事だけじゃなくて
ちょっとしたサバイバル知識も豊富で
家族のみんなに
参考になる話をよくしてくれていたのを
思い出しました


日常生活でも
服の畳み方一つにしても
ダンスに収納しやすいように
形を揃えて畳む事や

いかにゴミを小さくまとめて出すとか

旅行に行く時の
スーツケースやリュックは
丸めて縦に収納すると
コンパクトに収まり取り出しやすいとか

いろいろな雑学知識がありました


その時は
そうなんだ〜とサラッと聞いていましたが
今思えばためになる事ばかりを
教えてくれたなぁ〜と思います


ためになる事とはちょっと違いますが
教えてくれた事と言えば

ヒヨコママは物心つく前に
ちょっとでも高いところに乗ると
両親か心配して
「危ないからダメよ」と
言われてきたみたいです

もちろん物心つく前ですがら
ヒヨコママは覚えていませんが
いとこ達から後から聞いた話です


アレも危ない
コレも危ない

そう言われて来たせいなのか
もともとなのかわかりませんが
運動神経は今ひとつでした


幼稚園に入園する頃に
ご近所の同じ歳のお友達が
みんな1人でブランコを漕げたんです

だけどヒヨコママは
漕ぎ方さえわからなくて

心配した父が
毎日会社に行く前に公園で
ヒヨコママに
ブランコに乗る練習というか
漕ぎ方を教えてくれました

もちろん
その事も覚えていませんが
この事もいとこ達から聞いた話しです


高いところは危ないと心配されて
今度は同じ歳のお友達が
ブランコを漕げるのに
ヒヨコママだけ漕げない事に
心配してくれたみたいです



妹に対しても
仕事の人間関係で悩んでいた時に
ひと言
「会社辞めないさい」と
言ってくれた父

せっかく入った会社なのに…とか
何でどうして辞めるんだ…
なんて
あーだこーだ言わないんです


そして
再就職が決まった時には
妹は資格もなければ
年齢的な事もあり
「そんな中で雇ってくれた今の会社には
どんな事があっても定年まで働きなさい」

妹にそうアドバイスをした父


会社を辞める事に悩んでいた妹に
何も言わず
背中を押してくれて
適切なアドバイスもくれた父


40歳過ぎていた妹が
会社から帰宅するまで
毎日寝ずにずーっと待っている父

すごく心配性でしたが
それ以上に
家族をたくさん愛してくれました

昭和一桁生まれだったから
言葉に出して優しい言葉を
言ってくれるわけではありませんでしたが

深い愛情を持って
育ててくれた事に感謝してます



父が天国にお引越しをして
3月で10年です

まだまだ寂しく悲しいですが
こうして父の事を思い出しながら
"ありがとう"と
感謝の気持ちでいっぱいです