世界に色んな人がいる中で、人の事を過剰に気にして生きづらいひとの言動を見てて、共通点は


・そうせざるをえない、許される環境に居続けてる
・ほんとにその状態が窮地だと思っていない
・自分の事を知らない(限界点や許容範囲なども含まれる)
・失敗が怖いので憶測で考えて事実確認する前に辞める
・解決策を自分から聞いといてやろうとしない
・自分を責めることが責任を取る行為だと勘違いしてる
・自分との約束を果たしていない
とかとか


人の事を気遣ってと思ってるその行動は、
ただ単に環境や相手に責任を転嫁して、自分は変わろうとも改善しようともせず、その状態を維持することに重点を置いてるだけ。

だからどれほど不満でも、文句言ってても、現時点でまぁ何とかなってるしいいやって、自分のモヤモヤも気になる事も原因も、なぁなぁにして現状維持する。

ただそれが、「今はそういう時期だから」とか、自分が自覚してしてることなら問題無いけど、
問題なのは「その事に何も疑問を持たず、流されるように決定してる」ことが問題。

そしてそれは「流されるように生きる事を決定してる」無意識かもだけど自分の意思。
それを「自分の意思だ」とせず「他の存在に責任転嫁してる」ということ。


自分の人生というストーリー(台本)は、自分でしか描けない。
「そういうストーリー(台本)」として自覚して描いていくか、
「ストーリー(台本)は別に生きていけばかかれるからいいや」と流れに身を任せて描くことを自覚して書いて行くか、
「自分は本当はこんなストーリー(台本)は嫌だけど、周りから求められてるから仕方なく書いてる」か。


漫画に例えると分かりやすいけど、
「こういう漫画が描きたいから描いてる!」のか
「自分はオールマイティに色んなジャンルを描いてみたいから、求められたら描いてる」のか
「自分は本当はこんなストーリーの、漫画描きたくないけど、求められてるから仕方なく描いてる」のか
こういう事。


別に自分の人生だからどんなストーリーだっていいんだよ?
不満を持って、自分を押し殺して、責任転嫁をして、周りにいっぱい人が居るけど信じられる人なんて居ない。
とか、それを描くのは自分の作品だから、多種多様なジャンルがあったっていいし、人に求められて無くても描きたいなら描けばいい。


でも、その台本(人生)が終わる時、自分で読み返した時
「こんな作品が描きたいわけじゃなかった」
で終わる作品は嫌じゃない?

「自分は別にそれでいい」とか「そういう作品もありだよね」と思えるならいいけど。
あんなに人を気にして行動して、自分を押し殺して、苦しい思いして生きてきた代償がこれか・・・
って思ったら悔しくない?


人を気にしすぎな人は「このストーリー(人を気にし過ぎる自分という主人公を演じる自分の役作り)」すら
自分が決めていることに気付くべき

環境が人が周りが場所が理由で云々より、まず自分がそれでいることを選択している事を自覚する。

ストーリーは自分で描いてる事を自覚する。

スタートは人それぞれだたして、ストーリーは自分で描いてると気付いたら、自覚したうえで、今まではこういうストーリーだったけど、今後どういうストーリーにして行くかは自分で決める。自分次第。


自分で決めるの中には
・他人に委ねてみる(今後のストーリーの展開を信頼出来るアシスタントに聞いて、その通りにしてみる)
・他人の意見を取り入れてみる(読者の意見を取り入れる)
・現状維持(このストーリーをとりあえず描き続けてみる)
・保留、休む(エピソード2に向けて作戦を練る、休載する)

も含まれる。
そしてそれらの選択は自分で決める事を意識してやる。


自分の尻は自分で拭え
が今のうちのストーリにおける座右の銘
今はこういうストーリー連載してます(宣伝ww)


強そうな、ストイックそうな言葉に聞こえるかもだけど
・自分はこういう事をすれば機嫌が良くなる
・こういう事は嫌いだから日常的にそれに接触する頻度を減らす
・1日何時間以上働くと、長期的に働けずバランスを崩すから、何時間以上働かない、働いたとしてもリカバリーする時間を儲ける

など、自分の限界点を考慮して、より自分が快適に過ごす為にはどうすればいいか?も、自分の尻は自分で拭えって事。
まぁストーリー展開にもよるけど。


案外、良くも悪くも自分が出来る、手の届く範囲って少ないし、それを自覚したうえでどうするかを自分で決める。


自分の台本は自分で責任もって連載する

それが自分との約束だぞ!!!



※これは自分の感想、考えであり、特定の人や物事を批判する内容ではありません
でも、過去の自分や伝わるといいなという人を何人か思い浮かべて書いてます