横山だいすけさんの歌、
「 わたし おかあさんだから」
が炎上して話題になりました。

私はだいすけお兄さんが好きだったし、その歌に励まされたから味方したかったけど、
歌詞を読んでみて、

「こうゆうの好きじゃない。」

と思いました。
趣旨は母を応援してくれているけど、母の自己犠牲を美化してる風に響く。

でもその母という役割にその側面があるのは事実。

眠くても授乳で起きなくちゃいけないし、赤ちゃんは母親が体調悪くても自分でご飯なんか食べないから作って食べさせなくちゃいけないし、
日々家事に追われて、ご飯を食べるのも子どもを優先して、寝るのも子どもと同じ時間。
自分のやりたいことなんて後回しの後回しでできないです。
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〈イヤイヤするけどめちゃくちゃ可愛い2歳児〉

もちろん父親もやりたいことを我慢して頑張ってくれてるけど、父親は悪気がなくても気づかない事が多い。
母の場合は24時間常に子どもに気を張ってるんです。
(私は今はワーママなので平日は14時間ウインク
私お母さんだけど、仕事中は仕事に夢中)


今寝ていて夢を見ました。

オーケストラでバイオリンを弾いてました。
音楽に包まれる感覚、作曲家の世界に浸る深み、曲を弾けない焦り、合奏での取り残された孤独、練習不足のいら立ち。

オーケストラの夢なんて全然見ないのに。
ヤケにリアルな夢でした。

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〈たくさん捨てた楽譜だけど、捨てられないものもある〉

私は学生時代から妊娠中期まで、バイオリンをやっていて、オーケストラで過ごす休日が生きがいでした。

演奏会で世界を表現できた時の喜び、全員で奏でる合奏のものすごいパワー、演奏した後に舞台で浴びる喝采はそこでしか味わえない世界です。

妊娠のつわりが酷くて吐気で電車に乗れなくなり、重いバイオリンを持って移動出来ないから練習に行けず、遂には寝るのも起き上がるのも辛くて生きるのが苦しくなるほどで、もう無理だと思って辞めました。
(友達が車で送迎してくれたのには本当に感謝。
練習に行けば合奏中はなぜか吐かずに頑張れた)

妊娠中は子どもが生まれてしばらくすれば再開できるかもしれないと思っていたけど、まーるが生まれたらその気持ちは全く起きなくなりました。

実際にママになっても続けてる友達もいるから不可能ではない。

でも。

私にとっての今が、まーるにとっての今と違い過ぎたから。

私にとってのオーケストラとまーるにとっての私が違い過ぎたから。

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〈社会人になり、自分で大枚叩いて買った楽器。社会人になって良かったと思えた〉

まーるにとっての1日が私にとっての1年以上の成長の価値があるように思え、まーるにとっての私は本当に生きるための命綱そのもの。
母は酸素のような絶対的存在だった。

今はこの子とかけがえのない時を過ごしたい。
だって二度とない今だから。

そのうち、抱きしめたくても逃げていくことが分かってる、親となんて遊ばなくなる事が見えてるから。

まーるにとって今が今だけだから、
私にとっても今が今だけ。
可愛いこの時を見逃さない。

いつか思う存分できるオーケストラは後回し。

その結論は自分の中から当然のように生まれたから後悔も全くない。
子どもと夫と家族で過ごす休日は楽しすぎるかけがえのない時間。
今はこれが正解だと思う。

でも今日夢でオーケストラに浸ってビックリした。

焦りばかりで不快な夢のくせに、やっぱり私はオーケストラが好きだったと気づかされる。

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〈夢で演奏してたチャイコフスキー4番。何だかんだ言ってもチャイコフスキーが一番楽しい〉

母になって「今は」諦めてるもの。

小さな事でもきっと誰にでもあると思います。

でもまたいつか再開しましょう。

目標は捨てないで大切にして、
でも、今は今で楽しみましょう。

今の自分の価値観で、今なりたい自分でいればいい。

参考
「 わたしおかあさんだから 」歌詞抜粋

「もしもおかあさんになる前に戻れたのなら
夜中に遊ぶわ ライブに行くの 自分のために服買うの

それぜーんぶやめて いま、あたしおかあさん」

確かにヒールは履けなくなったけど、自分の好きな服は買いまってます!ウシシ
時間がないから試着できないことも多いけど。
(着れると思って試着しても予想以上に太ってて着れないのも多いけどあせる

「わたしおかあさんだけど」
「あなたおとうさんだよね」

も検索すると面白いです。