突然ですが

 

うちには包丁が1本もありません

でも料理はします。

 

え?どうやって料理してるの?と聞かれますが、この果物ナイフ1本で全部料理します。

 

 

 

この小さい果物ナイフで

肉も魚もキャベツも大根も切ります。だいたい切れます。

あとキッチンバサミでだいたい事足ります。

 

切れないのはかぼちゃとスイカぐらい。チョキ

 

それもまあ、

うちは食卓にそんなにカボチャを並べないので、かぼちゃが食べたいときは、切ってあるかぼちゃを買います。

スイカは実家に帰った時に、ここぞとばかりに母にスイカ食べたいと言えばOK笑

 

と、ママ友に話すと「え?不便じゃない?」と言われますが・・・。

 

・・・別に不便じゃないキメてる

 

これ私だけかもしれませんが、売ってる包丁って大きいし、重いし、持ってると手が疲れるんですよね。

疲れると、料理のやる気も激減。

ある意味料理のやる気を出す工夫です昇天

 

他にも水切りかごに置くのも大変だし、収納も結構場所とるし。

シンク下の包丁入れに入れておくと、1歳ぐらいの子連れの友達が来た時、うっかり開けて包丁取り出したら危ないし。

(うちの姪っ子、本当にやらかしたことあります)

私にはメリットを感じられませんでした。

 

こんな感じで引き出しにポンっと収納。小さいし収納楽!

 

 

ちなみに1年前まではこの果物ナイフと包丁も一本ありましたが、果物ナイフばかりもともと使っていたので、

包丁捨てて果物ナイフだけになっても全く困りませんでした。

 

本当に支障がないんですよ昇天

まあそもそも料理にこだわりがないからかもしれません。

 

料理好きで、切る具材ごとに包丁分けたいこだわりがある方や、大きな包丁でサクッときりたい!方には向いてないかもしれません。

もちろんみなさんに「包丁すてろおおお!!!」なんていいません笑

 

何が言いたいかというと、包丁一つとっても、いわゆる常識ではなく、自分の基準で考えていいのではないかということです。

 

料理っていうのは、包丁で作るべきだ

ではなく、自分のスタイルにしっくりくるものを、自分基準で選べばいいんです。

※はたから見たら、ほんと料理してない人に見えますよ。(実際熱心でもないですが)でも別にいいんですよ。

 

ちなみにうちは、包丁は一本もないけど、キッチンバサミは2本あります。

生肉などを切る用の大きなものと、4歳の娘の口には大きい具材(肉や野菜)を食卓で切る小さなものと用意しています。

 

包丁は1本も無くても不便じゃないけど、キッチンバサミは2本あったほうが便利なのでそうしています。

 

当たり前なんですが、

「必要なら必要な数を所有するし、必要でないなら、1つでもなんとなく所有しない」

 

に徹底していますにっこり

 

さて、みなさんのご家庭にある包丁はいかがですか?

重くて使いにくいや、逆に小さくて使いにくいなんてことはないでしょうか。

 

主婦の方だと使う機会が多いと思います。

毎日使うものなら、ぜひ自分のスタイルにしっくり合うものに変えてみてくださいねにっこり

そしてなんとなくあるだけ物は捨ててすっきりさせましょう。

 

それではチュー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みなさんこんにちはひよさんです。

 

今日は、元、捨てれない私が、急に捨てれるようになったきっかけをお話したいと思います。


うちの玄関は靴一足も出てない。

 

実は私、自分のことをもともと「捨てれない女」と自覚したことがないのです。

夫が私以上の物が捨てれない、ため込む、使えそうなものを何か拾ってくる体質だったため、

 

自分はそこそこ物も捨てれるし、整理整頓もできるって思ってたんですよね。

私はちゃんと整理整頓ができるのに、夫が物をため込んで家を汚す・・・!

もう本当になんなのよって思ってたんです。

 

ん~、あの頃の自分をぶん殴ってやりたい。物ため込んでるのはお前も同じだ☆ニヒヒ

 

人って、自分よりちょっとできない人間が身近にいると、自分ができてるような錯覚に陥るのかもしれません。

 

夫とはとても仲が良いのですが、片付けや捨てることに関してはこの1年かなり言い合いをしました。それはまたべつに書こうと思っています。

 

さて、私が捨てる女になったきっかけはズバリ、

 

「友達との関係にもやもやして悩んだから」です。

 

 

女子高生みたいな悩みですね!

いやそもそも、なんでそれが物を捨てることにつながるのでしょうか笑

 

詳しくは割愛しますが、仲良くしていた友人との仲がうまくいかなくなり、もやもやを抱えたまま音信不通になる・・・という状態になったんですね。

 

あの時は私の心の状態もよくなかったのか、寝ても覚めてもふとそのもやもやがよみがえり、

心が毎日しんどくなっていました。

今思うと、その友人のせい‥というよりは、

仕事や家庭など複合的な悩みも絡み合っていたように思います。

ともかく心が重かったんですね。

 

さてある日、そのもやもやを別の友人に話したらこんなアドバイスをもらったのです。

 

「そういう時は物捨てて断捨離しなよ。」

 

目からうろこが出ました。

なぜかというと、たいてい人間関係の悩みを人に相談すると、

黙って聞いてくれたり、

その問題を解決するためのアドバイスをくれたり、

気持ちに寄り添ってくれたりするのが通常です。

 

しかしその友人は、全くの別角度から、直接関係ないけど私の心をすっきりするであろうアドバイスをくれたのです。

もうなんかびっくり。そんな方法があったとは。

 

そのアドバイスに感銘を受けちゃったんですよね。

 

※ちなみにその友人は、他にも

「小麦粉や砂糖とりすぎてない?」や、

「ドーパミン中毒になってない?」

など心と体がつながってる前提で、様々なアドバイスくれました。

うーん、神。

 

そっか断捨離か。

それならお金もかからない、

部屋もすっきりするし一石二鳥だなあ。

とものすごくカジュアルにとらえた覚えがあります。

 

今思うと、なんでこんなにスッとスイッチが入ったのか不思議なんですが、

頭で考えすぎて八方ふさがりだった私が、

具体的に体を動かし、

行動に移せるなんて良い方法だと信じ込んだのかもしれません。

 

私の場合、頭で思い悩むより、体を動かして行動できる方があっていたのかもしれません。

 

さてここから約1年、夫から病気かと思われるくらいの断捨離と、突如起こった引っ越しで、

汚部屋がすっきりした家に変化していきます。

 

今日は物を捨てるきっかけについて書いてみました。

ちなみに今もその友達とわだかまりがありますが、おかげでこんなに断捨離で来たので感謝しています。

 

もやもやした友人よ、元気かな、おかげで今家がきれいだよ。

元気でいてねチュー

こんにちは日置です。

 

昨年10月ごろ、コロナに疾患しました。

と言っても、無症状だったので、元気に自宅隔離笑

 

うちは狭い賃貸マンションなので、仕方なく夫の部屋件物置に5日間隔離。

暇・・・。子供にも夫にもドア越しにしか会えません。

 

当時は教員をしていたので、仕事も休みになり、暇です。

 

でまあ暇だからこの物置部屋を片付けるか・・・。と片づけ始めました。

そこで出てきたのは、私の幼稚園、小学校、中学校高校の卒業アルバム。

 

「いらん・・・!」キメてる

 

と即効で思いました。むしろなんでとってあったんだろう。

一応パラパラと中を見ましたが、「あーこんな子がいたなあ」「この先生だったな」

「・・・へー・・・」

終了。

 

やっぱりいらねえ。キメてる

 

よく考えたら、証明写真がずらーっと並んでるだけで、面白みは一切ない。

 

親友との写真は、一緒に遊ぶに行ったときに写真を撮っているので、

 

この学校が一緒だった、というだけの友達の写真って全然いらないわ…ってなりました。

 

先生も印象的で仲良くしていただいた方は個別で写真を撮ってるし、なにより心にたくさん思い出として残ってます。

 

そしてでかい、重い、かさばる。

いらん。

 

しかしここで気が付いたのは、

昨年からあれだけ物を捨てたくせになぜ卒業アルバムだけとってあったのか、です。

 

そこで暇なのでしばらく考えていると、ふと頭にこんな言葉が浮かびました。

 

“学生生活の卒業アルバムを捨てるなんて、

まるで学生生活が楽しくなかったかわいそうな人みたい”

という言葉でした。

 

自分でもびっくり。てか心の声、だれ!?

 

別に学生生活がつらかったわけではないし、

そこそこ勉強もでき、オタクで漫画とアニメばかり見てましたがいじめられることもなく、

友人もいたし、第一希望の美術科高校に進学してそれなりに楽しく過ごしていたからです。

 

いや学生生活それなりに楽しかったし、意味の分からん心の声は無視して・・・と思って矢先、また頭に浮かんだ言葉は

 

“じゃあまた学生生活に戻りたい?”

でした。これには即答で

 

“いや絶対戻りたくない”

 

と思ってしまいました笑 

 

戻りたくないんかい笑 

 

よくよく考えると子供時代や学生生活って、楽しさもあるけど、

自分で決められないもどかしさや、カリキュラムに従わねばならない窮屈さ、

 

コミュニケーションが未熟な同士のちょっとしたいさかいなんかがめちゃくちょ多いですよね。

クラスメイトに対する勉強や外見のあこがれやコンプレックスとか。

 

親との関係とか。

 

改めて思い返すと、特に大きな事件はないけど、大学は別として、

 

18歳まで結構なストレスを学校生活で抱えていたかもしれません。

 

もちろん特別なことではなく、周りのみんなもそうだったかもしれません。

 

ただ、「学生生活はストレス多くてしんどかった・・・」って結論づけちゃうと、

過去の自分がかわいそう、ってなっちゃうんですよね。

 

みんなが楽しんでた学生生活を楽しめないなんて、

なんてダメ人間・・・ってまた自分でレッテル張っちゃうのが怖かったんですよね。

 

卒業アルバムを捨てる奴なんて、

学生生活が楽しくなかった人なんだ、

そんなかわいそうな奴に私はなりたくなかったのかもしれません。キメてる

 

捨てなきゃそんな確認作業いりませんしね。

気が付いてしまった・・・。

 

思えば教員時代も、生徒が「学校しんどい」というのには共感できましたが、

「学校楽しい!」っていう生徒には純粋に「すげー!」って尊敬してました。

どんな教員やねん。キメてる

 

いろいろ考えて、卒業アルバムは全部捨てました。

これ持ってても別に幸せにはならない。

 

その際、

「学生生活100パーセント楽しめなかったのだよ。

卒業アルバムを楽しく見返せない陰キャなんだよ君は!」

 

と、頭の中にムスカ大佐みたいな人物を召喚し、

一回ネガティブな自分をしっかり受け止めて落ち込んであげました。

 

一回しっかり落ち込んでネガティブを認めて

 

あげると、

 

でも楽しいこともあったし、なにより今めっちゃ幸せだし、良かったね

と自分に言ってあげることができます。

 

 

 

皆さんも卒業アルバム、まだとってありますか?

 

捨てるなんてとんでもない!たまに見返して楽しんでるわ。

って方はもちろん大事にとっておいてください。

 

私のようにアルバムを開いて何も感じなかったり、複雑な思いが渦巻くなら捨て時かもしれません。

 

別にそれ持ってても、幸せになりませんからねにっこり

 

捨てる際は、しっかり自分と向き合って、

ネガティブ感情があるなら全部吐き出してあげてくださいね。

 

捨てると新しい自分が待ってるかもしれません。

 

※ちなみにこれは学生時代大好きだった藤原竜也の切り抜きです。

今でも好きだけど捨てました。

 

それではにっこり