後白河法皇の陰謀 | お山の杉の子

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詩吟・なんの負けるか今にみろ…

10万騎だった平家軍は3万騎となり京へ戻ったが、義仲の入京を恐れた平家一門は安徳天皇を連れ、さらに西国へと逃れた。
義仲は、延暦寺に逃れていた後白河法皇を護り入京し、平家追討と京中守護の院宣をいただく。
しかし、後白河は、自分の権力を護ることしか考えず、義仲の権力増大を恐れ、わずか4歳の安徳天皇の弟を時期天皇につかせ、院政を続ける。
義仲は、都では、民が平穏に暮らせるようにと、無駄な争いはせず、都の治安を護るよう努めた。
そして、平家を追って屋島に向かったが、海戦で敗れて京に戻った。
しかし、その間に、後白河は頼朝に「義仲を追討せよ」の命を下していた。
後白河は軍を集め立てこもり、戦う気のない義仲を挑発し、ついに戦が始まった。
義仲が汚名を着せられる原因となった戦いだが、非は法皇にあった。
戦いに勝った義仲は、元関白藤原元房と申し合わせ新政権を作り、征夷大将軍に任じられた。
$お山の杉の子-木曽路ツアー
(征夷大将軍の宣旨)
しかし、それも、残虐な義経によって、一時の夢に終わる・・・