見えているもの。 | たわい無い独り言〜こんなにも世界は美しい〜

たわい無い独り言〜こんなにも世界は美しい〜

ブログの説明を入力します。

私は良く言えば素直、
悪く言えば単純で、
どうも幼い時から自分の目に映る人の姿、耳に飛び込んできた人の言葉を真っ向から受け止めてしまう癖がある。

その裏にある真相、思いやり、本当の気持ちを勝手に解釈してしまうのだ。
その人が何を背負ってきたかも知りもしないで。

しかも長年のマイナス思考がたたり、プラスに取ればいいものをマイナスにとって勝手に悲しんだり。

以前、夫にそういった自分の性格を何度か指摘されたのだが、その時は何故夫がそれを指摘するのかが正直な所よくわからなかった。

が、今の私には夫の言っていた事が痛いくらいにわかる。

人は相手の全てをそうそう理解できないし、まして相手の気持ちなんて解るはずもなく、せいぜい予測する事位しか出来ない。
だって、自分ではないのだから。


例え相手に気持ちを聞いてみたとしたってそれが本心かは本人にしかわからない。
勝手にこちらが予測したとしても当たってる保証もない。
だからこそ憶測で相手を判断して勝手に落ち込むなんて甚だおかしな話な訳で。


人が歳を重ねれば重ねる程、友人、知人の人生や過去を全て理解するなんて到底不可能な事であり、だからこそその人の境遇や抱えているものなんて外から見ただけでは尚更理解出来る筈もないのだ。


「自分の欲しいものを全て持っているあの人は幸せ。」
これこそ勝手な解釈。
自分と相手は違うのだから。

夫が言っていた言葉を思い出す。

「ストレスや悲しみの感じ方は人それぞれ違う。自分から見たら恵まれている人であってもその人が実際に満たされているかなんてわからないものだ」

確かに…
自分だって体調が悪い日でもそれを他人に気付かれない様に振舞ったりする。

目に見えるものだけが真実ではない。
心は寂しかったり、満たされなかったりしている時もあるのだから。

とにかく目に見えたものを勝手に自分で解釈するおかしな癖を改めよう。

目が見えるということは本当に幸せな事。
それなのに間違った解釈をするなんてやるせない。

目に見えているものをそのまま受け止めて正解の時もあれば、そうでない時もある。
そんな柔軟な心を持って人に接し、共に生きていきたい。

気付かせてくれた夫に心から感謝します。
ありがとう。