今日和!(こんにちは)



なんとなく好きだけど、
なんでこの挨拶をし始めたんだろう。

柊です。

最近、手巻き煙草を始めました。



今回は前半は煙草の話なので、煙草嫌いな方は
下まで飛ばしていただきたい。


さて、
わたしは数年前まで箱の煙草を吸っていて、
辞めていたのですが

麻や、インディアンの習慣などに興味があり

また、
煙草の害と有用性の新たな視点を、アメブロにて
知ることになって、

以前立ち寄ったことのある、
手巻き煙草を販売している
お店に行くことにしました。



以前吸っていた頃、あの時期でひとまず満足した
タイミングがあり、それで辞めていたのですが、

紙の燃える煙やフィルターと薬品の害、
などのマイナスな要素を取り除いた煙草を
吸ってみると味などはどうだろう、
という興味が湧いていた。



わたしは、久々に煙草を吸ってみて思ったこと
ある。

今回はこれがメインのお話



味を追求して、巻き方や太さなどを研究して見たのだが、

追い求めている満足感というものには

いつまでも到達しないことが
なんとなくわかった。


飲み物やゲーム、煙草やその他いろいろ

依存性を持つといわれるものには、


そういった共通点があると思えた。


もう少し詳しく書いてみる。


わたしは、これまでゲームをよくしてきたが、

手に入れるもの、作り上げるもの、
達成する目標、味わいたい楽しさ…

これらは、何度もいい思いをしたはずなのに、


一向にそれが最高到達点だとは思えていない。



同じように、コーヒーも日々嗜んでいるのだが、

やはり何度か、とても美味しいと感じた、

とても満ち足りた氣持ちを味わえた一杯というのは

何度もあった。



たが、
どの一杯のコーヒーが最高であったかは
決めようがないし、最高だったと思う一つも
見つからない。



煙草に関しては、やはりこれも同じで、
瞬間瞬間に、「これが吸いたかった
と思えた一服を、何度も味わっている。

味わってはいるが、それを最後だとしてもいいと
思えるタイミングというのは、
一向に来る気配がない。



また飲みたくなるのは、続けたくなるのは、

また味わいたくなるのは、

きっともっと良い体験をしたくて追い求めるから。



いつか辞めれる。

いつか満足できる。

いつか納得がいく。



これは、何かを続ける理由
その発信源の欲求として存在する想いだと思う。

答えはないし、良いも悪いも思い浮かばないけど、


そもそも、程度というものには

どうやら上限がない


進化はおそらく止まらないし、

突き詰めるという行為に終わりはない。


ならば、追い求める理由の一つの


これを最後にしたい

そして満足してから辞めたい


という二つの動機(わたしにとって)は、

追い求めてもきりがないのだと、気付いた。



現代に生きる中で、時代の進み具合によって、確かに体験できる限度はある。


この先の遙か未来、繰り返すこともあるという、
無限に進化し続ける宇宙のどこかで、


果たしてこの想いに終止符など打てるのだろうか。



ただ、

いま生きていて思う、
満足したい、満ち足りたい、到達したい、
成し遂げたいとか、最高を味わいたい、

という願望は、どうやら高みを目指し
程度を知るため
あったようだと、今は思う。



個人的に腑に落ちた感覚を
書き記してみました。


この感覚を味わって落とし込んでみると、

楽しみ方は変わったと思う。



というわけで、

最高を求めて繰り返す何かしらの行為には、
恐らくきりがない

到達することはなくとも
それは原動力となっていた
有限だと思い込んでいた世界で見れる幻想
のようなものだと、

思ったお話でした。




無限と有限などとは、
左右に伸びる一次元グラフのような
範囲の考え方では、

最高という到達点は左右のどこかにあるような、
点のようにも思えるが、

同一線として見れないし、
そもそも無限の中で見た最高という一点すら、

その内は無限なのかもしれない。


という謎の締めくくりで閉じます。



/ 柊