気狂い女の成れの果て | 中央線キャバクラ放蕩記

気狂い女の成れの果て

気狂い女が歌を唄えば

よからぬ事が起こるのです

やさしい人も怒るのです


気狂い女は顔が綺麗で

それにもまして体がよくて

夜の海に浮かぶ月のようです



あれはもう随分と昔の事のように思えますが、

実はまだほんの数年前の事でございますのね。

怪人21面相が世間を騒がしていた頃ですから、

ほんの2年程前の出来事なのですね。


その頃のわたくしは半年ほどの入院生活を終え、

なんとか市井での暮らしにも慣れ始めた頃でございました。

入院と言っても、わたくしの場合は身体を壊したわけでなく、

気を煩っての入院生活でございました。


それ以前にも幾度か気の変調はあったのですが、

あの年の暑い夏に、とうとう日常にも気の病が及ぶようになり、

なんと申せば良いのか一人でいると言いようのない不安が訪れ、

何者かがわたくしを襲いに来る様な気がして、

居てもたってもいられなくなり混乱をきたすような事となってしまいました。


気の病というのは人様から見ればとてもわかりにくいものです。

身体の変調であればわかりやすいものです。

びっこをひく人に「早く歩け」などとは誰も言いません。

しかし気の病というのは人様から見れば、

単なるわがままに思われてしまうものなのです。


「もっと前向きになろうよ。」

昔からの友達にも幾度言われたことでしょう。

そのたびごとに心の中で小さく反撃します。

「なぜ前向きじゃなくちゃいけないの?」

無論、現実に言葉には出しません。

誰も彼にも似たような言葉を言われました。

そのたびごとに心の中でだけ小さく反撃していました。


退院してからも薬を手放せぬ暮らしは続きました。

何事かを始めねばと思い、

わたくしはピアノを弾きながら歌を作り始めました。

ピアノを弾くといっても本格的なものでなく、

和音を押さえて、

わたくしの言葉を和音に合わせた旋律にのせるというものでございます。


「マリア様は自我肥大症」

「ボケ老人の性癖」

「ひらがなよ!歌え!」

「田んぼの田の書き順を我に教えよ」

わたくしがその頃作った歌にございます。

真昼間に一人で貸しスタジオに個人練習で入り、

わたくしは電子ピアノを弾きながら歌を作り続けました。


歌を作っているときだけは、何も考えなくてよいので楽でした。

それでも少し油断すると、あいつがやってくるのです。

何者かがわたくしを襲いに来るという妄想。

「そんなのは妄想だから、気にしないでいいじゃない。」

誰も彼もが言いますが、そんな簡単なものではないのです。

わたくしは不安な妄想と戦うためにも歌を作り続けました。

これがわたくしが歌を作り始めた一番最初の頃の話でございます。


歌を作り始めてから随分と長い時間が経ったような気がしますが、

ほんの数年前の事でございますのね。

怪人21面相が世間を騒がせてた頃ですから、

ほんの二年前、昭和59年の夏の話なんですね。


あれから二年ですか。

なんだか随分いろいろな事があったような気もします。

わたくしも随分と年を重ねた気もします。

今日は平成22年の6月の22日。

わたくしが歌を作り始めて、ちょうど二年ほど経ったのですね。


あれから二年ですか。

あの頃はわたくしも二十六歳でございました。

今ではもう手にも皺が目立つ年齢になりました。

わたくしも随分と年を重ねた気がします。

二年で随分と人間は年をとるものなのですね。


あれから二年ですか。

あれは昭和59年の夏。

今日は平成22年の6月の22日。

あれから二年ですか。


(未完)