私の実家には 戸建てに1人で住む父親がいます
私は9回の引越しで実体験してきた
不要な物の断捨離する力ってやつが身についています
引越しは数あれど、引越し業者を使用した事は一度もありませんでした
いつもどうせ棄てるのだからと
買い物をする際に、これは本当に必要なのか?
また邪魔になって破棄するのではなかろうか?
と断捨離思考がすぐでます
賃貸から持ち家に越してきてからも
必要最低限の家具や家電しか置きたくなく
タンスも一台も設置していません
写真 アルバム 絵 置物 なども置かず
何か人間味のない無機質なマイホームになってます
あと2年もすると次男も就職して
家から出て行く日も近いのかなーと考えるようになると
ふと お盆が近い事もあり
実家に顔を出した際に、アルバムや写真などを引っ張り出してみていました
……………………何かが足りません
写真をみながらアルコールを摂取しているから?
とかの問題ではなく
私の記憶や過去のアルバムを よくよく見返すと
父親と過ごした記憶がほぼありません
とかく、虐待ネグレクトされて防衛本能で記憶削除してるわけでもなく
刑務所に入っていて家にいなかったようなクソ親父でもなく
思い返すと、経済的支援以外は
私にとって いてもいなくても同じだったような気がするくらい父親との思い出がありません
実際に今でも、実家に顔を出す際
一緒に酒飲みながら話すわけでもなく
「ただいま」
「おう」
だけでほぼ会話が成立しています
淋しいと思った事もなく もっと構って欲しいみたいな気持ちも全くないのです
私の家の購入の際に、父親に
もう古い家だし処分して一緒に住むか聞きましたが
俺はこの家でいいよ と実家に1人で残りました
多かれ少なかれ、親父も俺と同じ事を考えているのだろうな と思います
母が他界した時は、何かいとも言われぬ不安というか押しつぶされそうな気持ちのなかでも
「ありがとう」
と死に顔をみながら送り出した記憶があります
今ふと 今年に親父が亡くなったらどうしようと考えた時に
口座とか登記簿とか保険証書の置き場所とか
死ぬ前に聞いておかないとな
みたいな事務的な感情しかでてきません
嫁にもよく あなた実家に行ってもまったく喋らないよね
なんて言われた事もありましたが
男だから口数少ないんじゃね?
くらいしか考えておりませんでした
少し前の話になるのですが
マイホームを購入した際に手続きが終わり
帰り際に 司法書士の方に
「この度は、おめでとうございます」
と言われた際にそのあと妻が
そういえばあなた 家を決める時も決めてからも
父親に おめでとう なんて一度も言われてないわよ
と言われた事を思い出して
逆をいえば私も父親に ありがとう なんて言った事あったかな?
と思うくらい 家族関係が気薄な家庭でした
私の親世代は昭和の企業戦士の団塊の世代です
残業だったのか?飲み歩いていたのか?
は知りませんが、ほぼ会話した記憶がないです
マスオさんと言われる立場だった父親だった為
帰りづらかったのかもしれませんね
ただ恨んでいるわけでも、後悔してるわけでもなく
自然に こんなもんなんだなぁ と受け入れています
そう遠くない未来に親父が亡くなったとき
淡々と遺産整理や断捨離を行っている自分を想像できると
子を持った私がいま思うのは子が成り上がった際には
「おめでとう」と一緒に一杯呑みたいし
私が死去した際には、子と子の嫁ちゃん孫達に
「ありがとう」ね と送って欲しいですね
自身の経験を糧に、これから結んでいく子孫との繋がりを大切にしていこうと
もう少し、アルバムを見返してから帰ろうと思います。