ターニングポイントと言うのでしょうか

人類として自分を示した時に、友達と思ってた仲間が実は友達ではなく下民として理解した時ってありますでしょうか?

逆での自分より格上の、上級国民ってやつを本当に理解したときはありますでしょうか?


それを理解したのが中学生の...たぶん2年生?だと覚えております

(自己精神掌握で自己コントロールが長いと記憶や記録に負荷がかかり曖昧になります)


可愛いなと思うあの子が母子家庭で彼女の家が近所の輩の溜まり場だったり


友達と思ってたコイツの家が昭和当時の初期のタワマン住みの貴族だったり


格差社会ってやつを幼いながらも理解した時、たぶんその時

私は、天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらずと云えり。

という福沢諭吉の大衆理解論の後ろの 云えり

からなる学問の進め が心にぶち刺さった事変であります。


学問の進めが、ぶ刺さった私なのですが...................

後に自分という記憶力ってやつが皆無な私をまだその時はわかっていませんでした。


この記憶力ってやつ不思議なもので、たぶん勉学や育ちで伸びるわけでなく

好き嫌いや我慢で強制的にインストールするやつと思っています。


まーこれも公式や定義って 不変のルールってやつだと思えば言ってる意味がわかって貰えると思います


よく数学脳とか文系とかで区別されますが、私は他にも生力脳ってやつが存在してると思います。

現代の政策から合法で違法できる

人を騙す詐欺での洗脳など

勉学で覚えれる記憶力ってやつでどうにかできない

現場対応力ってやつが、それが多分 

「勉学の教え」ではない

「家計の教え」ではないかと40代半ばで

本当に感じます