昔から勧誘されると断れない性格だ。
たちの悪いことに、傷付けないようにと纏った作り笑いの仮面が活躍し、とても乗り気に見えるらしい。困った。
私の笑顔を信じた彼らはどんどんスピードを加速して畳み掛けてくる。
優柔不断な私は、相手の話をしっかり聞こうと力み、シュミレーションで疲弊し、判断能力を失い契約を行う。
私は製品の機能に対して笑顔を向けているのでなく、あなたが一生懸命喋っている事実に笑顔を向けているのに。
私は自分に関わることの判断が極端に出来ない。
人がこう行動すべきと言うのはジャッジできる。
自分の事じゃないんだからいい加減なことが言えるのは当たり前だ。
しかし他人の何か物事に対する温度感を測る方が、自分の物事に対する温度感を測るよりも明らかに出来ている気がする。
(自分の物事へのジャッジが極端に出来ないだけの可能性も)
自分の関心は、絡まった毛糸のように糸口が見つからない。
パスタを食べたいのか、ハンバーグを食べたいのかさえ、分からない。
(正確に言うと、両方を食べたい度合いが同じで決められない。)
当たり前だけど、主観に身を任すって難しくないか?
食べたいものが決められない問題は、コストや重量、腹持ちするか否というデータが入ってきてしまい、それで決めれば良いものの、ますます分からなくなる。
データは集められるが、どれが必要か導けない人間が頑張ったところで堂々巡り。
考慮しすぎる、というのも考えものだ。
自分の感情にせよ、相手の感情にせよ。
最近どれだけ慮ったところで人の心は読めない、という考えが強まってきた。
見え見えなあの人も、分かったかのように思わせてくれているのかもしれない。
そう考えると、読めて合わせられた気になっている私なんて滑稽だよな。
ニコニコガンガン声を掛けてくる勧誘の方々も、心では挫けているのかも知れないし、読めないのはお互い様か。
笑顔で、でも毅然とした態度で勧誘を断れるのが一番かっこいいのだ。
ただ、まがいなりにも断れた今日の自分は花丸。よく頑張った。