田舎に移住した迅の前に、元恋人の渚がやって来た。
妻と別居し、愛娘の空を連れて。

戸惑いながらも、迅たちの共同生活が始まる。

親権問題、田舎での固定的な人間関係、二人を取り巻く恋愛模様。

全員が弱者で、完璧でも無い人たちが織り成す、ノンフィクションだと錯覚する物語。



この映画には強者がいない。
自分の欲しいものすべて手に入れ、常識に守られているような人間が。

親権裁判の場では、ゲイカップルとシングルマザー、お互いの弱い部分を責め合って、弁護士によって“常識”が押し付けられる。

(裁判の場面を除いては)人々が弱者だからこそ、相手の痛みも分かるし、価値観を否定もしない。


迅は、自身がセクシュアルマイノリティであることを気にし、バレないようにと、田舎でひっそりと自給自足している。


渚は主夫をしており、男女間の役割には囚われていない。
ただ、ゲイである自分が子供を持ててすごく嬉しかった、でも破綻させてしまったと、ゲイで“普通”でない自分に劣等感を抱く。


渚の妻、玲奈はフリーランスの企業通訳。
一回仕事を断るだけで、次の仕事に繋がらなくなる。
自身の不安定さを抱えながら、仲の悪い母の手を借りてまでも、空を引き取ろうとする。


本人たちがコンプレックスを抱いて自分を苦しめることがあっても、悪人が登場してアイデンティティを奪っていくことはない。

LGBTQだからといって、差別されることは無い。
腫れ物に触るように扱われることもない。
迅が自身に向き合い、集落の人にカミングアウトした瞬間、周りの人は受け流してくれた。
冷たさではない。人に干渉しない無関心さがここでは気持ち良かった。

他者を評価しない姿勢
登場人物もそうであるし、監督だってそうなんだと思う。
自分の正解を叩きつけない。
自分の価値観を映画の人物に言わせて、哲学を押し付けることもない
(ポロッと滲み出る言葉は好き。自分が一番弱いのを分かっていた(意訳)など。)

ああ、これが真のダイバーシティなんだとふと思う。
差別をする。差別をしないように逆差別(または回避)をする。
その肯定を乗り越えて、無関心になっている登場人物たち。



飽くまで“その人”のパーソナリティで判断して、“ゲイ”や“障害”という属性は判断材料にならない。
(玲奈が離婚を切り出したのは、ゲイに対する偏見によるのかもしれないが、一方で渚は浮気もしていたので、それが原因ともとれる。)




この映画、やけに生活音が大きいなと思っていた。
大根を洗う水がボトボトとシンクにぶつかる音、家の前に停まる車のエンジン音。
映画というフィクションの中で、人物の会話を邪魔しないようにと下げられるはずの生活音がダイレクトに鳴っている。現実の音量と同じ程度の大きさで。
現実を歪めないようリアルを追求したのか。
それとも監督が好きな映画『ジョゼと虎と魚たち』へのオマージュなのか。ジョゼでも、車道の音が人の台詞を食う勢いでかかっていたから。

オマージュと言えば、朝ごはんを作るシーンで渚が片手で卵を割る。
朝ごはん作りのシーン×親子の交流で、『クレイマー、クレイマー』が浮かんだが、もしかするとジョゼでの卵焼きシーンへの憧れを込めて、“卵”を選んだのかもしれないなとふと思う。
卵がある食卓って素敵だな。


もうひとつ気になったアイテムが、迅が読んでいるカフカの『審判』。
無実の男が抵抗も虚しく、有罪にされ処刑されてしまうまでを描いた作品。

私の勝手な解釈だが、迅は自分もその主人公を重ねているのではないか。
無実の男は迅自身で、過ちは『LGBTQ』であること。
LGBTQは罪でない為、何で隠さないといけないのかと不条理に悩んでいる。
ただ無意識にLGBTQを後ろめたく感じ、行動自体はLGBTQを責めている。
田舎にこもりばれないように、飲み会でも気付かれないように立ち回る…
迅はLGBTQが悪くないことに気付き行動を起こし、自らによる断罪や抑圧をはねのけたが。



この映画、答えが欲しい人にはむいていないと思う。
LGBTQを取り扱っているが、それが一番大事なテーマなんです、ではない。
結局是非が語られること無く、たまたまLGBTQの主人公が、一人の人間として感じ、生きている様を映すだけだから。

本作は、映画で主人公が頑張る様を見て勇気付けられたい、感動したい、方面のエンターテイメントではない。
起承転結は期待しないで。

フィクションの世界なのに、その人たちの生活を感じ取れる。そんな不思議さ
飾らなくて、無様で、私たちと何ら変わらない暮らしを切り取っているから、派手さは無い分、背景を想像しやすいのかも。
洋画のアクション映画など派手で、起承転結があり、騙し騙されのスリリングな映画を観る機会の方が多いから、しっとりした邦画を観慣れてないけれど、シーンを丁寧に映す映画だったから、地味だけど飽きずに観れた。