凪のお暇を観ていた。

作品全体に影響を与える“空気”。

主人公の凪は、馬鹿正直に空気と同調し、自分や気配を消そうとしているOL。
凪の元恋人慎二は、空気を読み過ぎる凪をからかいながらも、自分も空気にがんじがらめになっている一人。
凪が好きになったゴンさんは、空気清浄機。空気より、目の前の人間の喜びを優先できる人。


好きだなと思った所は、空気を読み続けて倒れた凪を“良い子”認定しない作者の描き方。

空気を読んでいれば叩かれないだろうと皆がつい陥ってしまいがちな考えを易々と否定する。

空気を読む人の優しさや繊細さを肯定しながらも、“良い子”を演じてても嫌われることもあるからどうせなら自分の好きなことをしなさい
そういう視点で描かれているのが素敵だった。


私も主人公のように空気を読みすぎる節がある。
(読んだ所で正解かは分からないけど)
自分がニコニコしていれば周りの人もつられてニコニコしてくれると思うからニコニコする。
頼みを断れない。
今ここで私がこれをやらないと皆が困るやつだと思って負担が増える。
会話をしていても、相手が面白がっているか気になって集中できない。


つい空気を読む行為に頼ってしまう。
空気を読む行為は劣等生でも出来る最大限の良い子で、分かりやすく他の人が喜んでくれるから。

でもよく自分を失くしてしまう。
私は何が好きだっけとか、何がしたかったっけとか。
空気を読まない人が羨ましくなる時もある。


『日本人は空気を読みすぎだから、もっと気にせずに生きた方がいい』。
よく言われがちな論説をなぞるのではなく、空気を読むことってメリットもデメリットもあるから使い方次第なんだよなというメッセージを感じる。


空気を読んで行動するというのは、“一種のコミュニケーションの自動化”だと思う。
でもそればかりで判断せずに、間違ってもいいから目の前の人間とひとつひとつ向き合ってコミュニケーションを考えるのが大切。
そう言われた気がした。

パターンを自動化してしまうと、現状に甘んじて改善しなくなってしまう。今に満足してしまう。
アドリブに対応出来なくなってしまう。
読む読まないどちらが良いとかじゃなくきっとバランスの問題なのだ。
(ただ空気に助けられてきた人間としては、少しだけ空気を読む方に情が移る…)


だから空気を読まない方しかやってきていない慎一が一方的に慎二を笑うのもなんか違うと思ったんだ。
(空気を読むことも読まないこともしてきた人間が言うと厚みが出るんだけど)