「ありがとう」は使えば使うほど積もっていく言葉だ。
自分にも相手にも積もっていく。

でも「いいね」はちょっと難しい。


「ありがとう」は、“私”は“あなた”のおかげで助かりましたと、特定の人が特定の人に対して向ける感情だ。
ありがとうは純粋なアイメッセージ(=自分の感情を述べ、他者を批判しない)だと思う。

それに対して「いいね」は、“私”は“あなた”のこう言うところが好きです、という評価になる。


確かに自己肯定感が低い自分としては認められたいし褒められたい。
いいねを言う側だって一概に評価してやろうと思って言うわけでもない。
だけどいいねを使うと、時に審査員と応募者のような立場の溝が出来ることも確かにある。

審査員に気に入ってもらうために背伸びして頑張ったり、意見を合わせ過ぎたり、媚びてみたり。
そんなことがあるから、ここぞと言うときで「いいね」しなきゃね。

「いいね」される側への影響だけでなく、「いいね」する側だって、安易ないいねは自分の嗜好を曖昧にしてしまう。


そう言えばアドラー心理学は「いいね」(=承認欲求)を否定していたっけ。
他人の評価を気にして生きると、他人の人生を生きることになってしまうかららしい。

誰々が言ったからこの道を選んでしまったと言い訳するのはカッコ悪いし、自分で選んだことを誇りに思わなきゃ。


同じように難しい言葉は「好き」だと思う。
私は何を見かけても「好き」って言う人に身構えてしまう。(何でも嫌いって言わないだけましだけど)
相手の趣味を否定しないようにだとか、ネガティブな人だと思われないようにやる時は少なからず私にもある。共感や賛同、自己防衛は誰にもある。

でも、「好き」の乱用は、この人は何を見ても同じに感じるんだなと思わせることに繋がる。

取捨選択せずに目の前の情報をそのままインプットし、全部好きって言葉で済ましている。
どこが好きなのか、どういう風に好きなのか伝えてくれればその人らしさが滲み出るし、こうやって選んだんだなって分かるのに。惜しいよな。