時は米露冷戦時代。

国選弁護人として、ソ連人スパイ、アベルの弁護に当たったドノヴァン(トム・ハンクス)。

減刑を勝ち取った上に、スパイ交換としてアベルを帰国させるのにも成功する。


スパイを擁護するのかという厳しい世論に晒されながらも、弁護士としての任務を全うする姿勢に心を打たれた。愚直で純粋でまっすぐで、かつ“民間人”だったからこそソ連もスパイ交換に応じたのだろう。



この映画では、ドノヴァンの愚直さや純粋さと、アメリカの国家としての狡さのコントラストがはっきりしている。

もし上手くいかなかったとしてもCIAは責任を負わずドノヴァンを助けない、国のために戦ったスパイに対しては帰国出来るように何でも行うがたまたま捕まってしまった一般人は切り捨てろと言う。

何の為に戦うのか?正義とは?守ってくれないのに国民としての義務は強要する国家とは?など様々な疑問が湧いてくる。



キャスターが伝える「アベルは自由の身になった」というニュース。一見ソ連に戻り自由になったアベルの幸せそうな顔が浮かんだ。

しかし、スパイ交換のシーンでソ連側に戻った彼は、仲間からの熱い抱擁も無く、よくぞ最後まで口を割らなかったという尊敬の目を向けられることもなく、事務的に車の後部座席に乗せられ去っていく。

と言うことは、その後もしかしたら彼は情報を漏らしていないか厳しく拷問され確認され、最悪の展開まで想像すると死刑になったこともありうる。

優しくて人道的なイメージを世界に向けたいソ連が、情報を漏らしたかもしれないスパイにさえも寛大な国として「彼を自由の身にした」と誤報を流した可能性も高い。

そんなラストを考えると、自身の最善を尽くしアベルの帰国を手伝ったドノヴァンが居たたまれなくなると共に、ただのハッピーエンドにはならないスパイ交換の難しさや、国家間の溝を感じる。



一個人の、“弁護士としての任務を全うしたい気持ち”“アベルへの優しさ”を利用し、その後の人質解放にも協力させる政府が何だかなと感じる。スピルバーグ監督はアメリカ人であるものの、そんな政府は嫌だと反米のメッセージも意図的に盛り込んだのではないのかと勘ぐっている。



全く同じ状況下で、新聞紙にスパイ弁護と報道されているときに怪訝な顔で見つめ、スパイ交換成功と報道されているときにニッコリと彼に微笑みかける電車の客も何だかなと感じる。コピペした正義を自分の考えだと勘違いし国家に振り回されている。

正義の名の下に、ドノヴァンの家の窓に発砲し、弁護を止めさせようとする野次馬。そんな正義は犯罪(器物損壊)の免罪符にはならないし、自分の行いを正義のせいにしないでほしい。全部正義で片付け過ぎでは無いか。



国家がどうであろうと、ドノヴァンは自分の出来ることをする。一人の人間としてアベルに向き合う。全力を尽くして弁護する。

仮にアベルのラストが悲惨なものだったとしても、ソ連にもアメリカにも見捨てられたアベルが人間的な扱いをしてもらったという事実は何物にも代えがたいし、充分救いだったと思う。一見政府に利用されていただけの無力な弁護士だが、アベルの心に寄り添い続けた姿勢。

善人で無力なキャラクターそのものだ。



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