前回のブログから
合格していました。
ずいぶんと、時間が経ってしまいました。
この間、一番の報告は
父が亡くなったこと。
12月4日から、今日まで
いろいろなことがありすぎて
とても長かった。
それでも、保護犬ブログは
なんとか根性で書いていましたので
よかったら覗いてみてください。
はじまりは、12月1日
仕事を休んで、午前中健康診断を受けて
その後、更年期の受診をして
と、やっていたら母から電話が。
父の容態が思わしくないと。
急いで、実家に駆けつける。(車で約2時間)
仕事が休みで、良かったと思う。
母と甥っ子と一緒に
施設にいる父に会って
ほぼ無反応に見える父に
大好きな音楽を聞かせると
「ば~らが」と父の声が出た。
話しかけると、わずかに反応してくれるので
父に「宅建受かったよ。」と
直接報告もできました。
思えば4年前に、父が施設に入った頃から
勉強していたんでした。
長かった。
今までは窓越しだったのに
今日は直接面会できた!
嬉しかったのと
もう、そんなに長くないんだと
わかったのと。
複雑な気持ちでした。
その後、容態は落ち着いていたけれど
12月5日夜
心配した妹2(アメリカ在住)が
小さな姪っ子Eちゃんを連れて帰国。
わたしも息子くん&娘さんを連れて
家族で父のベッドを囲みました。
部屋には、ずーっと石原裕次郎の音楽を流す。
翌日(12月6日)も、父に会いに施設へ。
母、妹1、2、姪っ子Eちゃん、わたしの
見守る中、静かに静かに息を引き取りました。
享年80歳、施設に入って4年
自分で動くことはできなかった父ですが
老衰で褥瘡のひとつもない、綺麗な身体での最後。
施設のみなさんの「愛」を感じました。
理想的な生き方(最後)とは、父そのもの
まことに「あっぱれ!」な人でした。
頭はボケボケにボケてしまっていたし
自分で動くこともできないけれど
それ以外の病気はなく
穏やかな性格で、施設の人にも大切に
してもらっていました。
施設に入ると、家族の方はほとんど
面会に来られないそうです。
しかし、母は毎週父に
某メーカーのヨーグルトを届け
なにかというと、会いにいっていました。
目ヤニが出た時も
施設の方は特に気に留めておらず
母の強い意志により、病院に連れて行くと
(この時点で、自力で動けない父を病院に連れて行くのは難儀でした。)
お医者さん丁寧に見てもらうことができ
(ここまでして、病院に連れてくるのは珍しいらしい。)
薬も処方してもらったお陰で
目ヤニは出なくなったそうです。
また、病院に連れて行くと
お医者さんも「良くなったね。」と
喜ばれたそうです。
この一件で(他にもたくさん理由はある)
勉強になったと、施設の方の心が動いたそうです。
(亡くなった後に聞いた)
もともと、とても良くしてくださる施設の職員さんたちが
さらに入所者さんへの接し方を改善していかれ
本当に丁寧に丁寧に、入所者さんにも家族の気持ちにも
配慮してくださる、心のこもった場所に。
父は本当に幸せです。
亡くなった後も、葬儀屋さんの車で
自宅へ戻りました。
施設の方からも
自宅へ戻れる方は、本当に少ないので
戻れてよかったと言っていただきました。
自宅から出棺の際には
早朝の寒い時間にも関わらず
近所の方が大勢お見送りに出てくださり
本当に本当にありがたかったです。
葬儀社の方が
「(大勢にお見送りされるなんて)今どき珍しいですよ。」
と、おっしゃっていたと母から聞きました。
葬儀も一日家族葬にも関わらず
(結果的に)規模が大きくなってしまい
葬儀社さんがびっくりされていました。
(これは・・・父が現役の時でしたら
大変なことになっていましたね。ははは。)
コロナ以後、いろいろなことが変わっていて
いままで当たり前だったことが
当たり前でなくなったことを知りました。
父にメッセージカードを書いている
息子くんと甥っ子Kくん
12月1日、12月5日~12月15日まで
わたしは毎日、実家に通っていました。
(高速だと片道1時間10分!)
わたしも、体力気力ともにギリギリの毎日
とはいえ、父が亡くなったことによる
喪失感はありましたが
哀しみよりも、むしろ感謝とたくさんの愛を
父や周りの人たちから教わった温かな時間でした。
母親や姉妹1、2の存在はもとより
わたしや妹1、2の家族たち
父と母の兄妹(叔父叔母)たち
近所の方たち
父母の友達や施設の方たちに
生前、どれだけ父が周りの方に
「優しくしていたか。」を教えてもらいました。
人が亡くなって
愛を感じる温かな時間というのは
不謹慎と思われるかもしれませんし
世間の常識と相反するかと思います。
とはいえ、父はわたしの感情を
きっと喜んでくれるていると思います。
(火葬場で父からたくさんの感謝のメッセージを
受け取りました。)
わたしは、もともと「人の死=不浄」と
考えていないのと
父の最後が、人としての尊厳を保たれ
本当に穏やかで、自然で
理想的な最後だったので
余計にそう思うのかもしれないです。
あれから四十九日が経ちました。
もう、何カ月も前のことのような気がする。
父のように、最後まで穏やかな人柄で
笑顔を絶やさず、周りの人たちに
可愛がってもらって、大切にしてもらえるような。
わたしも、そんな人になりたいですし
周りの方を、尊重し大切にできる自分でありたい。
シャーマン陽子
