旅の思い出「百舌鳥古墳群(仁徳天皇陵)」で世界最大の王墓をみる(大阪府・堺) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

堺市役所展望台

℡)072-228-7493

 

往訪日:2023年4月2日

所在地:大阪府堺市堺区南瓦町3-1 堺市役所21階

開館時間:9時~19時(土日利用可)

料金:無料

アクセス:南海電鉄・堺東駅から徒歩約3分

駐車場:なし

 

《こういう角度で観るつもりだった》

 

ひつぞうです。四月最初の週末、いよいよ大阪観光に繰り出しました。まずは関西エリアにおける《死ぬまでに訪れたいmy観光スポット》のひとつ、仁徳天皇陵を目指すことに。予約が要らないというのが一番の理由だったんですが。以下、往訪記です。

 

「なんにも計画してなかったもんにゃ」サル

 

★ ★ ★

 

小学生の頃に古墳にハマった。近所に九州歴史資料館があり、歴史マニアだった母親に連れられて行ったのがきっかけだった。そして、なんでも言うこと聞くからと謀って買ってもらった『原色・日本の美術』①(原始美術)の扉を飾った仁徳天皇陵の空撮写真が決定打になった。こんな古墳、九州にはない。いや日本のどこにもない。ぜひ行ってみたい。しかし場所は堺市。いったい何処って感じだった。

 

 

50年たってようやく念願が叶う。感無量だ。難波から南海電鉄で堺東駅を目指した。仁徳天皇陵を一番高い所から見ることができるからだ。

 

 

ついた。駅前にドーンと聳えるタワー。あれが目指す場所だよ。

 

「なにあれ?」サル

 

堺市役所。

 

「役所って週末は休みなんじゃないのち?」サル

 

大丈夫。21階の展望台は無休なんだ。さすが大阪。顧客満足最優先。“顧客”と言っていいのか判らんけど。

 

 

開館時間は9時。無料だし見放題なので急ぐ意味はあまりないが。

 

 

着いた。一番乗りである。

 

 

皆さんご存じだと思うけれど、仁徳天皇陵は百舌鳥古墳群という集積墳墓の一基。維新後に天皇制を国家の礎に据えるために、宮内庁中心に埋葬された天皇を治定していった。学術調査の機会も限定されてきたので、大型古墳の研究は更に進む可能性も残されている。

 

天気も上々。どんな眺望なのだろう!

 

 

あれ…。

 

「あの森みたいのがそれなのち?」サル なんかわからん

 

もっとリアルに前方後円墳が確認できると思っていたんだけど。

 

「でもここが一番高いんだよにゃ」サル

 

やっぱり駄目だったかあ。

 

 

このパネルで観たって気分に浸ろう。来たってことが大事だし。

 

「周りにも小さい森があるにゃ」サル

 

これも古墳なんだ。高位な家臣の墓だって言われている。専門的には倍塚(ばいちょう)というんだ。

 

ということで仁徳天皇陵拝所まで歩いていくことにした。徒歩で2キロあまり(約30分)。

 

 

御陵通りは桜の見頃を迎えていた。

 

「春だの~🌸」サル

 

毎日食っちゃ寝だから少しは運動しないとね。

 

 

堺市民の憩いの場、大仙公園の前を通過。

 

 

遂に外堀が姿を現した。造営当初は三重構造だったらしい。今は二重になっているけれど、これも明治の初めに改修されたもの。開墾されて畑になっていたそうな。

 

 

拝所に到着。スタッフ二名が常駐していて、いらんことできんようになっている。

 

「やっぱり森にしか見えん」サル

 

昔はどの古墳も禿山になっていたんだよね。整備されてここまで緑が濃くなったんだ。近くにビジターセンターがある。行ってみよう。

 

百舌鳥古墳群ビジターセンター

℡)072-245-6682

 

往訪日:2023年4月2日

所在地:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2‐160

開館時間:9時~16時(年末年始以外無休)

料金:無料

アクセス:JR阪和線・百舌鳥駅から徒歩約5分

 

 

2019年7月に百舌鳥古墳群が藤井寺の古市古墳群と併せて世界文化遺産に登録されたことを祝して、2011年3月にオープンしたホヤホヤの施設だよ。

 

 

世界中の巨大墳墓や国内の古墳について判りやすく説明されている。

 

 

仁徳天皇陵(正式名称は大仙陵古墳)は、築造当時、このような段丘構造をなしていたと推測されている。ミニシアターで陵墓の空撮映像を観ることができる。一見の価値ありだ。

 

 

「おー!出てきたよ」サル

 

 

「迫力ある映像だにゃ」サル

 

五世紀にこれだけの土木構造物を築造できる測量技術があったことが驚き。

 

「宇宙人のしわざとか?」サル

 

それ『ムー』でしょ。

 

これだけでは考古学的に消化不良なので堺市博物館も訪ねてみた。

 

堺市博物館

℡)072-245-6201

 

往訪日:2023年4月2日

所在地:大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2 大仙公園内

開館時間:9時30分~17時15分(月曜定休)

料金:一般200円 大高生100円 子供50円

アクセス:JR阪和線・百舌鳥駅から徒歩約5分

 

 

古墳時代から商業都市として発展した堺の歴史までを紹介する施設だよ。これで200円。そのうえJAF優待もある。

 

「バカ安なんじゃね」サル

 

 

まずは古墳時代から。

 

 

なぜ堺に古墳が集まったのか。現在の堺市は埋立されて沖合に市街地が伸びていったが、古墳時代はこのあたりが海岸線に一番近い丘陵地だったんだね。墓というのは権力の象徴だったから陸路海路のいずれからもよく見えるように築造されたらしい。

 

 

「なにこのとぼけた顔みたいもの?」サル

 

仁徳天皇陵で発見された棺の復元模型だそうだ。棺を担ぐための張り出しが四方に作られて、端部が丹色に染められている。明治初めの調査記録を基に再現してあるんだ。

 

 

「ケロロ軍曹だにゃ」サル

 

甲冑。兜。ガラス製品。鉄剣。多数の副葬品が発見されている。試算によれば一日最大2000人。延べ680.7万人を動員して15年8箇月を費やして完成したと言われている。

 

以下、気になった副葬品を備忘録的に。ちなみに天皇陵の副葬品は宮内庁管轄なので撮影NG。

 

 

銅製三尾金具(大塚山古墳)

 

衝角付冑の頭のうえにつける飾りだね。その三本の突起に鳥(たぶんヤマドリ)の羽根をつけたそうだ。

 

 

三環鈴(七観山古墳) 5世紀前半

 

馬具の一部ではないかと云われている。騎馬の風習は朝鮮半島から渡来人によって齎された。以前見学したさきたま古墳群でも同様の遺物を観ることができた。逆に言えば九州・畿内から遠く関東まで急速に文化が伝播していったことが理解できる。

 

「ふむふむ」サル

 

 

三角板革綴襟付短甲冑(大塚山古墳)

 

当時大学生だった考古学者・森浩一氏が発掘した粘土槨から発見された。ちなみに大塚山古墳は巨大墳墓のひとつ履中天皇陵の南に存ったが、戦後に造成されて現在は跡形もない。これは特別なことではなくて、戦前には100基以上あったものが、宅地開発でその半数が更地になってしまった。

 

 

ところがいたすけ古墳の保護運動が契機となり、百舌鳥古墳群は今の時代に引き継がれた。

 

「知らんかった」サル 古墳ってそんな簡単に壊していいのきゃ?

 

次は中世の堺の商業と文化だよ。

 

 

長崎の出島に地位を奪われるまで、堺は自由貿易都市として栄えた。茶の湯や様々な文化が隆盛したのは経済と自治が発達したからだ。それらを可能にしたのは菱垣廻船による自由貿易だった。

 

 

堺って鉄砲生産でも知られるよね。

 

「このへんはおサルはいいかも」サル

 

 

装飾を施されたものは位の高い人物の所有だったんだって。

 

 

堺といえば千利休茶の湯。堺警察署の電源施設工事に先立つ調査で、堺環濠都市遺跡の全貌が明らかになった。その結果、大量の陶磁器も見つかったんだよ。

 

「また焼き物きゃ~」サル 長くなりそ~💦

 

 

青花獅子牡丹文盤

 

これは河盛家伝来の逸品。明代・景徳鎮窯で焼かれた17世紀の作と云われている。絵付のデザインがユーモラスでしょ。表面にみられる釉薬の古色に、本物であることが現れているね。

 

ここからは堺環濠都市遺跡からの出土品。

 

 

鼠志野向付(安土桃山時代)

 

鬼板(酸化鉄)の上から長石釉を施すと特徴的な鼠色の色彩を帯びる。これを鼠志野と呼ぶそうだ。向付は懐石料理の最初に出てくる小鉢だね。

 

 

備前徳利(同上)

 

古備前らしい素朴かつダイナミックな肌合い。大きな胡麻も眼を惹く。

 

 

志野向付(同上)

 

薄い長石釉の上から鬼板で描いた志野焼の代表的作例。

 

 

志野茶碗(同上)

 

厚塗りの白釉にできた梅花皮とブローホールがいい味わいですな。

 

 

瀬戸美濃 鉄釉皿(同上)

 

見込みにできたぼた餅も、失敗ではなくて鑑賞の対象なんだよ。

 

「焼き物もーよい!」サル 食べ物載ってないし

 

じゃ次なる伝統産業を紹介。

 

 

堺市は段通の生産でも有名。

 

 

これは蟹牡丹といって蟹と牡丹を意匠化したもの。富貴と魔除けの象徴として人気があったとか。縁飾りは入子菱継文様。繁殖力旺盛な菱は五穀豊穣、子孫繁栄を意味する吉祥文のひとつなんだって。

 

 

あと包丁ね。

 

「これだけはリアリティ感じながら見学できゆ」サル ホッとすゆぅ~

 

最後はお祭り。だんじり祭りだけじゃないんだって。

 

 

ふとん太鼓

 

 

祭礼鉾(実物大復元模型)

 

これは昭和初期まで堺市の開口(あぐち)神社八朔祭で使われていたものだそうだ。しかし、いろいろなものを集めたね。ということで、駆け足だったけど、さまざまな文化や伝統が複雑に絡み合って、今の堺の街ができあがっていることがよく判った。スタートは古墳だったけれど、茶の湯、商業、工業、文化と広く見学できたよ。

 

 

すべてが初めてなので何でも面白かったよ。他にも履中天皇陵ニサンザイ古墳など、巨大古墳が目白押しなのだが、やはり森と堀をじっと見つめるだけになる。それにもう昼だ。古墳めぐりの旅はこれにて終了。近場でランチすることにした。

 

「またラーメンなのち?」サル 腹へった

 

(つづく)

 

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