旅の思い出「神岡鉱山資料館&神岡城」(岐阜県) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

神岡鉱山資料館

℡)0578-82-0253

 

往訪日:2019年9月1日

所在地:岐阜県飛騨市神岡町城ヶ丘1-1

営業時間:9時~16時30分(12月~3月冬季休館)

料金:大人460円(JAF優待あり)

駐車場:30台ほど

 

≪三井鉱山の栄華の全てが詰まっていた≫

 

こんばんは。ひつぞうです。そろそろお山は紅葉の季節ですが、週末の天気予報は今ひとつ。晴れてくれないかなあ。今夜も飛騨観光の落穂拾いネタです。

 

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神岡と言えばスーパーカミオカンデ。大統一理論が予言する陽子崩壊を立証するニュートリノの検出装置。小柴昌俊博士がノーベル物理学賞を受賞する契機となった施設だね。

 

「おサル、そういうの結構かにゃ。頭が痛くなるだよ」サル

 

大丈夫。僕も物理は苦手だから(笑)。そもそもカミオカンデが神岡に建設されたのは、巨大水槽を建設できる空間、純度の高い水、邪魔な宇宙線が少ない自然環境と三拍子揃っていたから。とりわけ神岡には巨大な廃鉱があった。

 

そう。神岡は鉱山で栄えた町だったんだよ。僕が小学生の頃は、まだ全国の主要鉱山も活況で、その影響もあったのか、鉱物蒐集は科学少年の嗜みのひとつだった。だから、なんとかして鉱山に忍び込んで鉱滓を漁りたいと本気で思った。僕の故郷はせいぜい石灰石鉱山くらいで、大半が花崗岩と沖積平野からなる貧しい地質だったし。

 

「趣味が地味すぎゆ~」サル

 

ところが、大人になって自由を得た頃には、資源の枯渇や、円高、環境問題などで、全国の鉱山が一斉に閉山に向かってしまった。物流とネットの発達のせいで、レアな鉱物標本も簡単にお金で入手できるようになったのも蒐集への情熱が失せた原因だったかもね。

 

ただ、神岡鉱山八茎鉱山(福島)は別格で、一度は訪ねなければならない聖地

だったのだ。ちなみに神岡鉱山は「日本の地質百選」のひとつだよ。

 

「文句言わずについていくおサルの方がすごくね?」サル

 

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既に養老年間には銅が産出されていたという伝説がある。歴史に具体的に登場するのは室町時代末期に地方豪族の江馬一族が統治した時代と言われる。隣接する神岡城を築いたのも江馬氏だそうだ。その後飛騨は天領となるのはご存知のとおり。民間の経営になったのは明治七年。三井財閥の手に渡ったのだ。

 

 

当時は殖産興業の時代。近代的な銀行システムと貿易業、それに資源開発。これらを、三井、三菱、住友、古河などの旧財閥が一手に仕切ったのよ。

 

「ふ~ん」サル

 

例えば、住友は別子銅山(愛媛)、三菱は生野銀山(兵庫)、古河は足尾銅山(栃木)といった具合にね。飽くまで代表的なものを挙げただけ。炭鉱も含めて全国規模で日本は鉱山開発に力を注いだんだ。

 

「は~ん」サル

 

聞いてる?

 

「ボチボチにゃ」サル

 

 

1913年(大正二年)になると近代的精錬工場として、鉛・亜鉛の生産量で東洋一と謳われるようになった。電気分解で鉛を取り出すんだね。この過程でカドミウムが漏れ出して、そののち大きな問題に繋がったのはご存知のとおり。

 

「でもなんで神岡には鉱石が出たのち?」サル

 

良い質問だよ。おサル!

 

フォッサマグナに近い神岡一帯はね。飛騨片麻岩っていう、造山変成作用で硬くなった岩でできている。そこに地下からマグマ由来の花崗岩がグイグイ入ってくる。この作用を貫入っていうんだけど、その時に熱水が一緒に来てさ、片麻岩に含まれる石灰石を別物に替える訳よ。こうしてできたものがスカルンだ。スカルンは綺麗な有色鉱物が多いからマニアも大好きなんだ。

 

「話が長いにゃ。なんでそれが鉛と関係あるのち?鉛は鉛色じゃん」サル

 

その岩の隙間に、微量鉱物の亜鉛や金、銀なんかが硫化物として沈殿するのよ。これを見て。

 

 

「ただの岩じゃん」サル

 

白い部分はね。この縞模様の部分に金や銀が沈殿しているんだ。

 

「え!これ金鉱石?」サル

 

 

この鉱石を小さく砕いて、精錬して純度を高めていくと、おサルの好きなゴールドになるんだよ。

 

「くれ!」サル

 

この量じゃ無理。

 

 

これもスカルンの一種だよ。昌洞(通称:ガマ)って呼ばれる。神岡鉱山の栃洞坑で昭和45年に採掘された。スカルンを杢地ともいうけど、その隙間に鉱物が結晶化している。

 

 

拡大するとこんな感じ。鉱物の結晶には規則性があるから、鱗のような結晶ができあがる。珪石の一種かな。

 

「なんか気持ち悪い」サル

 

 

杢地には木の年輪のような結晶化が見られるのでその名前がある。特に菊の花のような形状のものを菊杢地というそうな。最近聞かない呼称だけど。

 

 

おサルはこういうものの方に興味が惹かれるみたいだな。

 

 

繊維石膏は繊維状に結晶した石膏の一形態。結晶の仕方によって、菱形の結晶や、魚尾状結晶にもなる。モロッコ土産の沙漠のバラも放射状と板状の複合結晶化した石膏なんだよ。

 

ここからは神岡以外で採取された鉱物の展示。

 

 

高師小僧だね。愛知県豊橋市の高師原でよく観察されたのでこの名前がある。ちょうど小僧さんが立っているような形だからね。名古屋在勤時代に出張と称してマジで採りに行こうと企んだことがある。でも天然記念物で採っちゃ駄目って判って断念した。

 

「ホントに部下を持ったサラリーマンなのち?」サル

 

根本的にサラリーマン向いてないから。僕。葦やイネ科の植物の根っこに集まった鉄バクテリアの死骸が付着してできるんだ。世の中には面白いものはいっぱいあるんだよ。

 

てなことで、鉱山遺産の見学は以上。昭和の匂いのする展示品だったね。ほとんど手書きの儘だし。

 

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せっかくなので他の施設も見学しよう。

 

神岡城

 

 

神岡鉱山の後身・三井金属鉱業㈱が創業百周年記念事業として、昭和45年に江馬氏の居城だった神山城を再建した。しかし、天守閣は丸岡城や犬山城をモデルに、こうかもしれない、ってな感じで作ったらしく、なんか取って付けた感が拭えない。そもそも天守閣があったかどうか怪しいそうだ。

 

 

それでも天守閣最上階からの眺望はいい。この資料館などが完成した昭和40年代前半には27,000人を数えた人口も、現在では10,000人を超える程度までに激減している。だが、高原川沿いの集落は往時となにも変わっていないように見える。

 

 

これが最盛期の神岡。奥の鉱山はまだ健在。2001年6月に採掘は停止し、現在はリサイクル事業を営む子会社の神岡鉱業株式会社に継承されている。

 

 

なお望遠鏡で覗くと、向かいの山に巨大な僧都の姿を仰ぐことができる。こうして写真に撮ると、なにかなんなのか全く判らないが。そもそも、そんな場所に巨大僧都を建てる意義があったのかどうか。珍百景狙いなのか。判らない儘だった。

 

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旧・松葉家

 

 

明治元年建築の入母屋造りの伝統的な合掌造りの民家。当初は茅葺きだったが、保存のために移築の際に銅板葺きにされている。

 

 

屋内には町内のあちこちから寄贈された農具や民具が大量に展示されている。

 

 

白川郷のそれ同様に、内部は中二階、更に屋根裏部屋と構成され、養蚕用だったことが判る。

 

 

なんかいろいろあり過ぎて落ち着かない(笑)。プチ・トンデモ系施設だ。

 

 

山好きには是非見て欲しいものがあった。このデルビル式磁石電話機は昭和25年にこの集落に初めて設置されたもので、昭和38年の、いわゆる三八豪雪の際に、薬師岳で13名が命を失った愛知大生遭難事件の捜索の際に活躍したと言われる。

 

以上、いろんな意味ですごく濃密な施設だった。

 

「昭和すぎゆ~!」サル

 

(おわり)

 

辛抱強く御覧いただきありがとうございます。