旅の思い出「特別史跡 三内丸山遺跡」(青森県) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

「特別史跡 三内丸山遺跡」

℡)017-766-8282

 

往訪日:2019年8月11日

所在地:青森県青森市大字三内丸山305

開館時間:(夏季)9時~18時【第4月曜休館】

料金:410円(常設展示+遺跡)

駐車場:(普通車)約500台

 

≪本当だったらすごい三段櫓≫

 

こんばんは。ひつぞうです。青森県立美術館を見学したあと、いい機会なので三内丸山遺跡にも向かいました。今年の四月から有料化されています。

 

★ ★ ★

 

青森県立美術館の半券を示すと割引きになってお得。日没間近なので急ごう。見学施設は発掘品の展示室「さんまるミュージアム」と屋外遺構で構成される。

 

 

なお、遺跡はさんまるミュージアムを含む縄文時遊館からしか入れない。

 

 

こんな風にトンネルを潜っていく。

 

 

三内丸山遺跡は1992年に県営球場建設予定地の事前調査で発見された。昔から縄文遺跡があることは知られていたそうだ。遺跡保存の決定打は直径1メートルの巨大柱の遺構の出現。マスコミが大騒ぎしたのを覚えている。それにしても広いね。

 

それまでの縄文時代の定説を覆す巨大集落と「文化」の存在が判ったからね。ところでおサルさ。縄文時代ってどんなイメージ?

 

「狩猟と採集だにゃ」サル

 

そうだよね。じゃどんな狩りだったと思う?

 

 

「ん~と、マンモスをワヒワヒ追いかけてた気がするにゃ」サル

 

「ギャートルズ」の観過ぎだよ。マンモスいないし。実は大型哺乳類は捕食していない。逆に魚介類は沢山食べていた。塵捨て場(貝塚)の調査で判ったんだって。偶然にもそこが沼沢地だったため、骨や

種子の保存状態がよかったんだ。僕らが子供の頃は「農耕栽培は弥生時代から」って教えられたけれど、縄文時代からすでに始まっていたと、この発見で歴史が塗り替えられたわけよ。

 

「縄文人は貧しい移動狩猟民族じゃなかったのちね」サル

 

そういうこと。

 

「ひつぞうも、床に落ちてるものを口に入れるのおやめよ」サル

 

関係ないよ。

 

 

ボランティアガイドは30分ピッチでスタートする。入り口周辺が集合場所。

僕らは適当にまわった。

 

「あの家に這入ってみるだよ」サル

 

 

燻された臭いがすごいね。防虫効果もあるね。

 

 

保存のために、発掘調査が終わった遺跡は埋め戻されるのが基本だけど、ここは(その一部を)シェルターで囲って展示する工夫がなされている。

 

 

考古学は新たな発見によって次々に塗り替えられる。僕らが学生の頃、教科書に載っていた登呂遺跡(静岡市)も、今では訪れる人もほとんどいなくなった。

 

「行ったじゃん。どーしてもひつぞうが行きたいっていうから!」サル

 

遺跡マニアなんだよね。昔から。

 

 

これが復元された大型掘立柱建物。おサルと比較すれば巨大さがよく判る。

でも、この復元が正しいのかはっきりしていない。どうやって建てたの?これ。

 

ひとつ言えることは、優れた測量技術が確立されていたことだ。

 

 

その基部はこうしてシェルター内部で見学可能。

 

 

「ここは?」サル

 

 

棄てられた土器だね。

 

「地味~」サル

 

★ ★ ★

 

じゃ時間もない事だし、発掘品を見学して終わりにしよう。

 

 

「あ。知ってるこれ。縄文時代のポーチ」サル

 

 

六本柱の基部は掘り起こされて展示されていた。

 

 

翡翠や黒曜石の原産地は限られている。そのため全国規模の物流システムが既に確立されていたことが読み取れる。今から5900年前から4200年前というから驚き。

 

 

板状土偶は三内丸山遺跡特有なんだって。

 

 

とりわけこの大型板状土偶(約4500年前/縄文時代中期)は規模も大きく装飾性も高い。重要文化財に指定されている。祭祀や魔除けの道具として、破壊目的に製造されたと考えられる。日本人には、昔から災いを身代わりに託す文化があるしね。

 

駆け足だったが、ずっと見学したかった遺跡なので大満足。観光地化の傾向に疑問を感じたが、文化行政の予算確保が困難な時代だし、保存研究の一助になるならいいかもね。

 

さて、乗船前にお腹を満たそう。ということで某所で食事をすることにした。

 

(つづく)

 

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