映画鑑賞「ゆきゆきて神軍」(1987年) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

ゆきゆきて神軍」 (1987年/日本)

 

監督:原一男

企画:今村昌平

製作:小林佐智子

出演:奥崎謙三、奥崎シズミ他

 

 

こんばんは。ひつぞうです。因縁の事件から約一月が経過しました。まだまだ

先の長い人生。好きな時に好きなことをすればいいやと思ってきたけど、人生

どこで思わぬ災難に見舞われるか判らない。と、今回つくづく思い知らされた。

ということで、登山はもちろん、好きな映画や本、アートや音楽についても、限

られた人生において「これは絶対に押さえておかねばならない」と個人的に感

じた作品は、ブログの中でも積極的に記録していきたいと思う。

 

今回は映画。それも邦画。それもドキュメンタリー。

 

「なんか重そうだにゃ~」サル

 

皆さん、「ゆきゆきて神軍」という映画をご存じだろうか。バブル世代は小耳に

挟んだ記憶があると思う。元帝国陸軍の下級兵としてニューギニア戦線で九

死に一生を得た男が、かつての上官が戦地で犯した人間としての罪を実際に

暴いていくという、とても興行的成功とは無縁と思しきドキュメンタリーである。

 

ところが、1987年の夏、渋谷のユーロスペースで公開されるや、三か月立ち見

の出る記録的ヒットとなった。キャッチコピーの「知らぬ存ぜぬは許しません」は

流行語にもなった。気にはなったが、時は太平を謳歌したバブル時代。浮世を

渡るのに必死だった僕は、そんなキッチュな作品の事は忘れてしまっていた。

 

まず出演者の奥崎謙三その人が凄い。もう常軌を逸している。奥崎は不動産

業者といざこざを起こし、殺人罪で懲役を喰らい、戦争責任を問うとして昭和天

皇の一般参賀でパチンコ玉を放ち懲役を喰らい、出所すると再び皇族を冒瀆す

るビラ配布で懲役を喰らうという飛んでもない経歴の持ち主である。その行動の

原点は自身の戦争体験にある。敗戦確定後のニューギニア戦線で、投降を拒

んだ日本の残留兵は飢えを凌ぐために、酸鼻を極めた殺戮に手を染めた。

 

つまり大岡昇平の『野火』である。

 

奇蹟的に生還し、所属した連隊において、その悪魔の所業が行われた事実を

知った奥崎は、復員後に関係者を追って広島から兵庫まで、容赦ない追及の

旅を開始する。

 

★ ★ ★

 

奥崎は先の戦争では、弱者に罪を背負わせ、本当の悪人が自らの戦争犯罪

を隠している以上、本当の平和はやってこないし、国家の戦争責任は果たされ

ないままで、英霊の御霊も成仏できないと主張する。

 

云っている事は正しい。問題は奥崎の行動である。無実の罪で射殺された二

名の下級兵の銃殺刑の真相を探るために奥崎は、自分の妻を伴ってノーアポ

で、かつての上官宅に(時には土足で)乗り込んでいく。軍隊では上官であっ

ても、復員すれば唯の田舎の百姓の親父だ。戦後四十年が経過し、孫も生ま

れて、雑種の犬を軒先に飼っているような頭の薄くなったオヤジたちである。

それがいくら戦友とは言え、いきなりやってきて「あの銃殺刑は誰の指示でや

ったのだ?お前が指示したのか?お前が撃ったのか!」と詰め寄るのである。

最初のうちは「あなた」だけど、頭に血が上りやすい性格と見えて、すぐ「おま

え」「この野郎」である。絶対相手にしたくないタイプ(笑)。

 

オヤジたちは一般社会で四十年間生きてきて、オトナの所作を知っている。「い

きなりやってきて、何を云うかと思ったら、コイツこんなことを。しかも俺の家族の

いる前で…。カメラまで回して」。当然怒りで煮えくり返っているだろう。ところが

奥崎は、あの爬虫類的な顔貌の顔色を微塵も変えずに、時折つかえながら相

手の成した悪行の数々を矢継ぎ早にまくし立てていく。最初は大人しく喋ってい

るが、次第に昂奮しだして、老人相手の暴行に至る場面は「これ。やらせ?」と

思ってしまった。それくらいあり得ない光景なのだ。そして「俺は正しい事をして

いるのだから、疚しいことは一切ない!警察呼ぶなら呼べばいい。いや俺が自

分で呼んでやる!」と怒り狂って警察に電話する。もう滅茶苦茶である。奥崎の

論理はすでに破綻しているのだが、言葉で説明できない奇妙なパワーがある

んだ。

 

「キレる老人だにゃ~。ひつぞうも気をつけた方がいいだよ」サル

 

彼の思想は単純明快で「自分が戦後殺人罪など犯したのは、戦争犯罪をとめる

ことができなかったため、因果応報として降りかかったことだ。だから、戦争に関

わって悔い改めてない人間は全てその報いを受けている。報いから救われたけ

れば、戦場で行われた犯罪行為の全てを白日の許に曝すべきだし、その暴露は

自分の義務だ」というものだ。一見筋が通っているようだが、どこかおかしい。

 

全てが支離滅裂。

 

では企画した名匠・今村昌平と、監督・原一男の狙いはいったいどこにあるのか。

恐らく、奥崎謙三の生き方にシンパシーを感じたためではないだろう。このどこ

から湧いてくるのか判らない不気味なエモーションをドキュメントの画面に収め

ること、そこにあったのではないだろうか。

 

このあとニューギニアの激戦地を再訪するパートが入る予定だったが、ニューギ

ニア政府がフィルムを没収。陽の目を見ることはなかった。凄い内容だね…。

 

なお、奥崎は映画が完成する前に、銃殺刑の指示を出した元隊長宅に改造拳銃

を持って乗り込み、居合わせた長男に発砲。重傷を負わせた罪で懲役十二年を

喰らい、映画公開前に広島拘置所に収監される。相手は誰でもよかったと、取り

押さえられた奥崎は言ったそうだ。無茶やろ。

 

「なんかおとなしく観てるなあと思っていたら、すごい内容だにゃ…。どこが

いのか理解に苦しむだよ!」サル

 

★ ★ ★

 

奥崎は云う。「自分が正しいと思えば暴力をふるってでも真相を暴く。そういう

暴力は間違いではない」

 

いや、なんであれ、暴力は間違っているよ。だってあなたは「会話を求めた=会

話で解決を図る」ことを求めたのではなかったか。説き伏せられなかったら暴力

ってのはもう子供の喧嘩だよ。…そうか。この映画観ていて既視感に襲われた

のは、自分たちが子供の頃にやっていた喧嘩の論法と一緒だったためか。

 

こんな映画(失礼)だが、毎日映画コンクール、キネマ旬報ベストテン2位、ブ

ルーリボン賞監督賞など、その年の映画賞を総なめにした。ちなみに、あのマ

イケル・ムーア監督が「生涯で観た中で最高のドキュメンタリー」と称えた作品と

して知られる。

 

【僕の個人的な印象】

芸術性 -----

衝撃性 ★★★★★

独創性 ★★★★★

娯楽性 -----

 

(終わり)

 

いつもご訪問ありがとうございます。