「立教大学活字文化公開講座」に行きました | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

立教大学活字文化公開講座「絶望を書く、希望を描く」


日時:2016年1月21日

場所:立教大学池袋キャンパス タッカーホール


旅先の新聞広告でオサルが何かを見つけて、知らないうちに応募していたようで
抽選に当たったので「行かない?」と言ったのは月曜日。

なになに?活字文化公開講座?
タイトルに絶望って言葉が泳いでいるけど…。

現役作家の小野正嗣さんと西加奈子さんのトークセッションらしいです。
オサルは西加奈子さんの大ファンなので行くという。
でも小野正嗣さんの名前は知らないという。

そうでしょうね。純文学系だもんね。

ヒツゾーは自分の好みに関係なく、生の文化人のトークを聴くのは結構好きである。
ということで池袋まで行きました。
残念ながら、出張先からの飛行機が天候不良で大幅に遅れて第一部は聞けませんでしたが
第二部はなんとかオサルがキープした最前列で拝聴しましたのです。



第一部「異文化と創作」
第二部「言葉と感性」

第一部はフランス、中東での異文化体験が与えた創作活動への影響や
創作意欲をかきたてる物事、小説を書く動機とかなにか、という「いかにも」的なテーマ設定です。

第二部は立教大学の作家志望現役学生による質問コーナーです。

オサルの説明では、第一部も第二部も殆ど同じ感じのトークだったそうです。(とりあえず信じましょう)
会場に入るなり、想像以上にちんこい西加奈子さんの、張りのある大阪弁が耳に飛び込んできます。
それと甲高い間歇的な小野さんの笑い声。

西さんは頭で考えた拵えものではない、活きた言葉をぽんぽん吐き出される
本物の広い意味での詩人です。そして話がおもろい。絶妙の間です。


読書の最大の面白さとは
「なんこれ、めっちゃ凄いんやけど。タイトル変えて自分の作品にしたろかな」という
衝撃的な作品に出逢えることだと西さんは言います。
まさに至言。
僕も吉田修一さんの処女作読んだとき
「やられた~!僕の温めたアイデア先に使われてしまったやん」って思ったんですよね。

「ヒツゾー、莫迦なんじゃね?愚か過ぎるんじゃね?」

すらすら読める小説もいいけど、未体験の表現に七転八倒して
うんうん格闘し尽くして読み通した作品ってその後の小説に対する世界観を変えませんか。
最近、山岳記録文学ばかりで、小説を読むことは減りましたけど、
ぞくぞくするような読書の愉悦に浸りたくなりました。

藤枝静男『空気頭』、N・ギンズブルグ『ある家族の会話』、武田百合子『富士日記』、
伊藤比呂美の詩文、野坂昭如『骨餓身峠死人蔓』、フランクル『夜と霧』、ブッツァーティ『タタ-ル人の沙漠』、須賀敦子の一連の作品、石牟礼道子『苦海浄土』、エリクソン『黒い時計の旅』
子母澤寛『愛猿記』、ドストエフスキーの長編全部、ブローディガン『アメリカの鱒釣り』
セルバンテス『ドン・キホーテ』、莫言『赤い高粱』などなど。
ヒツゾーの人生に衝撃を与えた作品はこんな感じでしょうか。

今思い出してもその時の衝撃というか、判らなさというか、切なさというか、
もう絶対どこかでパクろー!って思った記憶が甦ります。
まだ出逢ってない衝撃弩級作品も、この世にはまだ沢山あるんでしょうね。


お二人のトーク、聴いていて飽きませんでした。
ときおり、小野先生(立教の先生でもあります)がちっとも面白くない自分のコネタにウケて
笑われるんですが、その姿が面白くて会場が沸く。こんな景色結構好きです。
ああ~、文化してる~って感じですね。最近汗と泥の世界ばかりなんで。

テーマの一つ「小説を書く動機とは」との問いに小野先生はこう答えられます。

「なにかをこう書こうとして作品が出来上がるというよりも、書いていくうちに
作品ができあがってしまうんですね。その言葉であり、主題であり、物語性であり、
全ては計算されてできたものではなく、常にその作家にとって大切なもの、常に書きたいと
無意識にも思っているものが反映されて、
例えば西加奈子的なものとかが出来上がるんじゃないでしょうか」

動機は与えられるものではなく、あらかじめ作家の本質に内在するもの。
なるほど。


いろいろはお話が出ましたが、西さんは最後に言われていました。
「文学は(貧困や戦争など物理的な困難を)直接解決できないかもしれない。
それでも世界を救うことはできる。なぜなら自分自身が救われたから」

これから社会に出てゆく学生さんは、作家を志望すると言いつつも、
この困難な世の中に対して不安もあるようです。
(ひつぞー自身もかつてそうでした。)

西さんは笑い飛ばします。
「わたし、就活してませんでした。っていうか、してる振りしてました(笑)」
「それでも全然不安はなかった。超就職氷河期で回りが全部そんなんやったせいもあるけど
バイトして生活してる人いっぱいおったし。やろうと思えばなんでもできますよ。」

そのほかにも(聞いている側としては)最低限のレベルを引き合いに出していながら
不安も屈託もなく、実に自然に「世界は自由だし、やろうと思えばなんでもできる」と
言いきれる。素晴らしいです。人生を肯定的にとらえている。

「最初から最高レベルを目指さないと駄目みたいな空気があるから、不安になるんです」
なるほど。

だんだん文学の話を離れて、人生処方箋的なお話になっていった感じですが
実に愉しめたし、含蓄がありました。

「皆さんは「周囲に追いつかないと」と焦るかもしれないけれど、
アメリカで出会ったウェイターの男性は45歳で役者志望って人だったんですよ。
いいじゃないですか“45歳生まれたて!”みたいな」

「僕、42歳なんですよね」(小野さん)
「いいですやん、“42歳一”やないですか!」(西さん)

ちょっと僕の関西弁表記あやしいけれど。言われている内容も「うんうん」ですが
その言葉の選び方旨いなあ!

お二人とも作品世界は重いものが多いけど、本人が明るい。
作家の想像と異なる意外な側面と、やっぱりと思う面が見られて新鮮でした。



他所の大学を社会人になって訪れるって、なんか不思議なワクワク感や
よそ様のお宅に忍び込んでいるようなドキドキ感があるね。(オサル)


(おわり)