【「原爆」が「原発」に語ること】
福島の被災者、広島へ
鵜飼 秀徳 【プロフィール】 バックナンバー
日経ビジネス
2013年3月26日(火)
平和のシンボル、原爆ドーム。
プラカードを頭から下げた1人の男性が毎朝、この前に立つ。
訪れる観光客に「原発の是非を問う住民投票」実施の署名を求めている。
プラカードには大きく、「福島県南相馬市 衣山弘人」と書かれている。
毎朝9時にドーム前に立つ
原爆ドーム前で署名運動
衣山弘人さん(54)。
福島第一原子力発電所から18kmの南相馬に住んでいた。
爆発直前の3月12日、「虫の知らせ」がして家族3人と母親をバンに乗せて、避難を開始した。
衣山さんは山形・蔵王、新潟市、福井・敦賀の避難所を転々とし、広島に辿り着いたのは3月26日だった。
318人の被災者が広島にやってきた
避難で生まれて初めて広島の地を踏んだ。
縁もゆかりもない土地に衣山さんが移住を決めたのは、「避難候補の自治体に問い合わせた時、どこよりも受け入れ態勢がしっかりしていた」からだという。
着いたその日から市営住宅に入ることができた。
署名活動を始めようと思い立ったのは、広島に原子爆弾が落とされた8月6日のことである。
衣山さんの親戚は6人が津波に飲まれている。
慰霊のために平和記念式典に参列していると、想いがこみ上げてきた。
「核兵器も原発も、もとは同じ核。
何か行動を起こせないだろうか」。
原爆ドームでガイドをしている胎内被爆者の男性(66)とともに「核の恐怖」を語りかける日が続く。
署名は今年2月、2万人を突破した。
福島第一原発事故から丸2年が経過した。
福島の県外避難者はいまだに5万7135人にも上っている。
最も多いのは山形県の9513人、次いで東京都の7449人、3位は新潟県の5724人だ。
その数には及ばないが、広島県にも318人が移住してきている。
先述の衣山さんもその1人だ。
広島は67年前、核兵器によって破壊された特別な場所だ。
「核」の被害を受けた点では、福島と相通ずる。
広島に福島の人々が吸い寄せられる理由が知りたい――。
そこに核問題の本質や、被災者が抱えている悩みが落ちているのではないかと思い、今年2月、広島で3人の避難者と会った。
被爆3世の見た広島
渡部美和さんは福島で半農生活をしていた
福島市に暮らしていた渡部美和さん(37)は、広島市の出身だ。
祖母が原爆の被爆手帳を持ち、被爆3世に当たる。
「農」のある生活に憧れ、2006年に福島市で半農の生活を始めた。
不幸にも5年後、原発事故が起きてしまった。
「被爆3世ということもあり、潜在的に放射能には恐怖心を抱いていました。
事故後は恐怖で一時期、体調も崩したりもしました。
当時は子供も生まれたばかり。
子供への影響が特に心配でした」
渡部さんは、事故が起きた当初は特に子供を持つ母親や、妊娠中の女性で、「避難せずに福島に残る人」に対し、強い反発心を抱いていたという。
子供のことを考えれば、福島には住めないはずではないか――。
渡部さんは「東北の気候風土に近いところに住みたい」というパートナーの強い希望もあって、山間部の安佐北区で新しい生活を始めている。
「核」に対する強いアレルギーを持って福島を去った渡部さんだが、2年が経過し、このように振り返っている。
「広島に移住してみて避難生活がどれだけ大変か、辛いかということが分かりました。
仕事も失い、仲間もいない。
今になって身にしみて感じているのは、仲間や、仲間との信頼関係がなければ人間は暮らせないということ。
だから今は、子供を抱えながら残り続ける女性を頭ごなしに責める気にはなれない」
今、福島は人々が一丸になって復興に取り組もうとしている。
「がんばろう、福島」
そんな看板が福島にはあちこちに立っている。
だが、渡部さんは違和感を覚えるという。
「地元に戻ってこい、戻って福島の人間だけで復興を成し遂げようじゃないか、という声が日増しに大きくなっています。
でも、広島にいるとそんな様子が鎖国的というか、福島が別の国になってしまったみたいな印象を受けます」
渡部さんが危惧を覚えるのは、福島の“復興熱”が、広島の平和運動と重なるからだ。
「広島に戻ってきて見えてきたのですが、広島は平和や核廃絶への想いが強いあまり、平和団体はお互い仲が悪く、顔を合わそうともしない。
8月6日の平和記念式典にしてもいろいろな団体がバラバラに勝手なことをやっている。
平和都市という言葉の矛盾を感じます。
福島もどこか、広島と同じ轍を踏もうとしているように感じます」
土がいじれる幸せ
農業をはじめた青木さん夫妻
「避難してきた初日、川で子供が遊んでいたのを見て、ああ、こっちは世界が全く違うんだなと思いました」
福島県飯館村出身の青木達也さん(39)は、安佐北区で農業を始めた。
移住後、市の農業制度を使い、今年ようやく自分の畑を手に入れることができた。
この権利を得るには、2年間の研修のほか、面接などの試験があり、合格率は1割ほどだという。
「職業に『農業』と書けると思うと、なんだか誇らしい。
私の親は農業をやっていて、小さい頃は農家というと恥ずかしかったのに」。
妻の千春さん(40)は目を細める。
これから小松菜やホウレンソウなどの葉もの野菜を育てるという。
飯館村ではエンジン部品を造る工場に勤務していた。
政府が村を避難区域に指定したその日に会社を辞め、財団法人の紹介で広島に移った。
築年数の経った一軒家だが、家の裏手には田畑が広がり、のどかな里山の風景が広がる。
青木さんはいう。
「広島という街には安心感がある。
原爆を経験し、甲状腺などの専門医も多いし、病院設備もいい。
3歳の子供を抱えているのでとにかく医療が充実しているのがいい」
差別を受ける福島人
他府県に移住した人の中には、福島出身というだけでいじめや差別に遭う人も少なくない。
しかし広島の子供は人懐っこく、中学生の2人の子供がすぐに打ち解けたことも、青木さんに安心感を与えた。
「車を広島ナンバーに変えようとしたんですよ。
関東なんかでは『福島の人、お断り』っていう看板出している飲食店もあるそうなので。
若い女性は結婚差別を受けたり、お腹の赤ちゃんを堕ろしたりしたという噂も聞きます。
でも、広島で車をディーラーに持って行ったら、『(広島では)そんなことしなくていいよ』と言われました。
広島の人もかつては相当差別を受けたみたいですね」
職を手に入れ、生活を手に取り戻した青木さん夫婦だが、心配事がなくなった訳ではない。
福島に残した親の存在や、被災地にいないことで補償などの情報が入りにくくなっていることなど、常に故郷のことが頭をよぎる。
特に知人や親族の放射能による健康への影響が気になる。
千春さんは言う。
「福島の叔父などが、作った野菜を届けようかと言ってくれるのですが、何もいらないよって、言うしかない。
こちらのスーパーでも福島産のものは避けています」
しかし故郷に対する愛着はある。
ただし、と青木さんは続ける。
「戻りたいのは事故前の飯館。でももう、昔の飯館は戻ってこない」
「広島に永住するつもりです。
でも死んだら、飯館村のお墓に入る。
それくらいの愛着はあります」
4人は広島に来て、広島に救われた。
しかし、どこか哀しみを背負っているように感じた。
「核との戦い」は続いている。
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『原発さえ無ければ…』
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~拡散・転載希望~
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◆浜岡原発再稼働の是非を問う住民投票の実施は、16万5千人の県民の意思を無視し原発推進の党本部方針を優先した静岡県議会最大会派の自民改革会議(37人)などにより否決されてしまいました。
しかし、これで終わらす訳にはいきません。
世界一危険な浜岡原発を廃炉にする為に…
私達の安心・安全な暮らしを維持する為に…
静岡県及び近隣・関東に大量の放射能を撒き散らさない為にも…
「原発県民投票・静岡」では、川勝知事に県知事権限による住民投票条例案を議会へ提出する様に要請しています。
静岡県(川勝)知事あての意見を全国からも募集します。
※浜岡原発に対する意見
浜岡原発の危険性から再稼働は、あり得ない!
浜岡原発全ての原子炉を即時廃炉へ。
川勝平太知事宛てにメッセージを届けましょう。
浜岡原発事故が起これば被害を受けるのは、静岡県だけでは、ありません。
県外からのメッセージもお願いします。
◆川勝平太知事宛てメッセージ◆
送付方法:fax 054-221-2164
TEL 054-221-2202
手紙 〒420-8601
静岡県 葵区 追手町 9番6号
静岡県庁 静岡県知事 川勝平太
知事への意見箱
http://www.pref.shizuoka.jp/governor/mailbox.html
より多くのご協力お願い致します。
[浜岡原発をとめる裁判の会]
http://www.geocities.jp/ear_tn/
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「首都圏反原発連合」
http://coalitionagainstnukes.jp/
≪さよなら原発1000万人アクション≫
オンライン署名
http://sayonara-nukes.org/
みんなで決めよう「原発」国民投票
http://kokumintohyo.com/archives/5904
≪全国脱原発デモ情報拡散≫
http://demojhks.seesaa.net/pages/user/m/index
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