【敦賀2号機廃炉濃厚 地元は反発 「3000人の仕事消えた」】

産経新聞
[5/16 07:55]

活断層調査中の原発

原子力規制委員会の専門家調査団が日本原子力発電敦賀原発2号機(福井県敦賀市)直下に「活断層がある」と評価した15日、地元では「拙速な判断だ」と反発の声が上がった。

廃炉を迫られる可能性も高まり、原発敷地内を走る断層が活断層である可能性が指摘されている他の5原発の地元でも「人ごとではない」と衝撃が広がっている。


◆「拙速な判断だ」


「ただでさえ原発が停止し市民生活にかなりの影響が出ているのに、敦賀市にとってさらに厳しい結果になってしまった」

今回の規制委の判断に、敦賀市の幹部は衝撃を隠せない。

別の担当者は「規制委はまるで廃炉に向かって突き進んでいる印象だ」と語った。

敦賀市は原発関連収入に依存せざるを得ない状況にある。

人口約6万8千人の住民の多くが原発関連企業に勤めているからだ。

市によると、原発の定期検査に従事する関係者はピーク時で約8500人。

市の担当者は「原発が止まってから約3千人の仕事がなくなった」と打ち明ける。

活断層の調査をめぐっては、事業者に意見を表明する機会を認める前に結論を出したことに拙速との批判も出ていた。

敦賀商工会議所の有馬義一会頭(71)は「幅広い分野の有識者らの見解の集約がなされていない段階で、見方によっては『結論ありき』とも受け取れる」と批判した。


◆「人ごとでない」


今回の規制委専門家による決定は、敦賀原発同様、敷地内に活断層があるとの見解が示されている原発の地元にも、暗い影を落としている。

東北電力東通(ひがしどおり)原発(青森県東通村)の立地県、青森県の担当者は「決して人ごとではない。今後、敦賀原発がどうなっていくのか注視したい」と話す。

調査が終わっていない北陸電力志賀原発(石川県)が立地する志賀町の担当者も「もし廃炉にでもなれば地元への影響は計り知れない」と“戦々恐々”だ。

関西電力美浜原発(福井県)のある美浜町の担当者は「どういう科学的根拠でまとめているのかしっくりこない。地元が納得できる説明がない」と反発した。


◆「いつ決着するのか」


一方、民主党の菅直人元首相からの異例の要請で運転が停止してから、14日で2年が経過した中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の地元でも動揺が広がった。

「再稼働の行方は市の最大の関心事」(御前崎市)だからだ。

しかし、再稼働の見通しは全く立っていないのが現状だ。

浜岡原発は建設中の防潮堤を上回る津波の発生が指摘され、かさ上げ工事が進んでいるが、平成23年9月に浜岡原発の「永久停止」を求めた牧之原市の西原茂樹市長(59)は「浜岡原発は東海地震の震源域にあり、周辺人口も多い。市民は安心感を持っておらず、動かすべきではない」と強調。

周辺自治体の理解は進んでいない。

「いつになったら決着するのか。市民生活を考えれば、これ以上は待てないのが本音だ」。
御前崎市の担当者はこうつぶやいた。

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廃炉で3000人の雇用が失われる心配より原発事故で6万8千人の生活が奪われる方を心配するべきだ。

原発直下に活断層があると判断され真っ先に地域経済の心配をする心情が分からない。

活断層が動いと原発事故が起これば地域経済は壊滅。
雇用も生活基盤も故郷も…全てを失う。

原発安全神話が抜けて無いのか?

電力会社と一緒に活断層は有り得ないと信じ込んでいるのか?


福島第一原発事故を全くの他人事とでも思っているのか…?


【新入生は来なかった…浪江小教諭「できる限りのことをしたい」 】

産経新聞
[5/16 08:40]


「これからの浪江を支えるのはこの子たち」。星千尋さんはこう思いを込めて教え子を育てる=7日、福島県二本松市


「1時間20分に50分を足すと、何分でしょう?」

小さな木の机の上に開かれた算数の教科書。

福島県浪江町から二本松市へ避難し、旧校舎を使って授業を行う町立浪江小学校の教諭、星千尋(ちひろ)さん(51)は3年生になったばかりの教え子の隣に座り、答えられるのを待った。「130分かなあ」。

ゆっくりと鉛筆が動き、幼い目が自信なさげにこちらを向いた。

「うん、すらすらできるようになってきた」

赤ペンでノートに二重丸をつけ、にっこりとほほえみ返した。

ほんの30分前、授業が始まったころには頭を抱えていたのに。

子供たちの成長を肌で感じる。

東日本大震災の前、浪江小には約600人の児童がいたが、現在は17人。

二本松周辺へ避難した子供たちがバスで通学している。

この春、星さんは1年生の担任となる予定だったが、新入生は来なかった。

いつ転入があってもいいように教材の準備を進める傍ら、他学年の授業を手伝う日々を送っている。

「新入生が来なくて寂しかった、というのが正直な気持ち。でも、これから入ってくる子もいるかもしれないからね」

浪江小は母校でもある。

浪江で生まれ育ち、仙台市内の大学へ通った数年間を除いて、一度も故郷を離れたことはなかった。

東京電力福島第1原発事故に襲われたときは6年生の担任だった。

10日後に控えた卒業式を行う間もなく避難を余儀なくされた。

その夏、校長に掛け合い「卒業証書を手渡す会」を開き、半年遅れで教え子たちを送り出した。

「半年見ないうちに、みんな大人の顔になっていた。分かっていたことだけど、子供は成長していくもの。そして、この子たちも同じように巣立っていく」

大人になることは幼い日の記憶が薄れることだ、と思う。

校内には、子供たちがその記憶をとどめ、復興を考えられるよう工夫された教育の跡があふれている。

たとえば、教室の壁に貼られた手作りのカルタ。

《「ね」がいごとたくさんしたよ浪江神社》

子供たちが震災前の地元での思い出をたぐり寄せ、絵と文章を作った。

たとえば、帰還後の未来を想像して作った畳一畳ほどの町の模型。

「先生の家も作ってあげるよって、ほらここ」
と模型の右上を指差す先に、紙の大きな白い家があった。

こうした学びを「ふるさとなみえ科」と呼び、総合学習に充てている。

4月に警戒区域が再編された。

6年生の子供たちが立ち入りができる15歳となるのは早くて3年後だ。

避難指示解除準備区域となった浪江小は今月26日から、置いたままになっていたランドセルの持ち出しが始まり、保護者に校舎を一時的に開放する。

星さんも立ち会うため、月に数回は浪江へ戻ることになる。

「これから浪江を支えるのはこの子たちの世代。自分の将来と町の未来を重ねてもらいたい。浪江とつながっていられる場所は、今はここしかないのだから」

故郷とは-。


星さんはしばらく考え、「大きすぎて…。ちょっと言葉が出てこないね」とつぶやいた。

代わりに「今、教師としてこう考えている」と続けた。

「この子たちが将来、たくましく歩いていけるようにできる限りのことをしたい。大震災や原発事故を理由に、浪江にいないからできないというのではなく、浪江小にいるからこそできることを教えたい」

職員室の壁にかけられた予定表には、太いマジックで「5月18日 運動会」と記されている。

その日は校庭に、近くの仮設からたくさんの浪江の人々がやってきて、ひとときの故郷となる。



【震災後も浪江は「自慢の故郷」 事業再開へ…4代目社長の決意】

産経新聞
[5/15 09:07]

代々受け継いで守ってきた製材機の前に立つ阿久津裕司さん=12日午後、福島県浪江町


商品の材木はバラバラに崩れたまま。

しかし、製材機には、大きな傷はない。

福島県浪江町で大正6年から続く「阿久津材木店」。

4代目社長、阿久津裕司さん(42)は12日、再開への下見も兼ねて久しぶりに工場に入った。

そして、製材機を見つめ、こう語り始めた。

「これは、ひいじいさんの代から受け継いでいる宝物。この音を聞いて育った。もう一度、製材の音を響かせたい」

工場のある権現堂(ごんげんどう)地区は4月、東京電力福島第1原発事故による警戒区域の再編で、避難指示解除準備区域に指定された。

製造業など居住者を対象にしない事業が可能になったが、事業を再開した人はいない。

町商工会のアンケートでは、町外で事業を再開した人の4割が浪江での事業を「行う考えがない」と答えた。

震災で浪江を後にし、平成23年7月に福島県相馬市で材木店を再開したが、そこに製材機はない。

阿久津さんは、浪江で事業を再開する「第1号」になろうと決めている。

「先駆者がいれば、みんな様子を見に来る。成功していると知れば、後に続こうとする。だから、先陣を切るんだ」

震災の翌朝、追い立てられるように避難した後も、浪江で事業を再開する決意は揺らぐことがなかった。

両親と妻、高校3年、小学6年の2人の息子を避難先の東京に残し、単身相馬で事業を再開したのも「近くで事業を軌道に乗せておけば、浪江に戻りやすい」と考えたからだ。

相馬に新工場の用地を確保し、新たな一歩を踏み出そうとした23年5月、兄=当時(45)=が避難先で急逝した。

大切な兄と、浪江での仕事を奪った震災。

「でも、震災と原発事故のせいで人生が変わったとは思いたくない。震災前以上のものを手にしたい」

葬儀を終えると、相馬に戻って工場予定地の草むしりをした。

事業再開後は、寝る間も惜しんで仕事に打ち込んだ。

「原発事故で死ぬ思いをしたんだ。もう怖いものはない」と自身を奮い立たせた。

今年3月、東京で暮らす2人の息子が「おれはいつか、浪江に戻る」と言った。

親子でそういう話をしたことがなかったので驚いたが、徐々にうれしさが込み上げてきた。


「自分の背中を見ていてくれたんだ」

工場を出て、車で町を走った。

メーンストリートに残る倒壊したままの家屋、打ち上げられた漁船の周囲に高々と生い茂る草。

震災直後と変わらない町の姿に、怒りが込み上げる。

自身も損壊した自宅や事務所を建て替えて事業を再開するつもりだが、がれきの仮置き場が決まらず、動き出せないでいる。

「町や国は復興への意欲がある人の動きをどうして止めてしまうのか。時間がたてば、町へ帰ることをあきらめる人は増える一方だ」

そう話す表情がふとやわらいだ場所がある。町を流れる高瀬川。

のぞき込むと、澄んだ水の中に魚影がゆらゆらと見える。

「間もなくアユが上ってきて川がきらきらと輝く。

高瀬川のアユは日本一。

山で採れるマツタケは絶品だし、海では何でも釣れる」

満面の笑みが広がった。震災後も、浪江が「自慢の故郷」であることは変わらない。

「放射能の心配がなくなれば浪江に住みたいという人はいる。そして、お祭りや伝統行事を復活させる。帰りたくなる町を作れば、みんな戻ってくると思う」

そして阿久津さんはこう続けた。

「故郷って、そんなに軽いものではない。簡単にあきらめられるほど、故郷は軽くない」


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今の生活より将来・未来を考え子供や子孫の事も考えてもらいたい。

原発立地「地元」以外の周辺は、みんな気付いている。

原発事故が起こった時の悲劇を………












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