2019.9.15
都営大江戸線の本郷三丁目駅を出て
春日通りを渡り 本郷通りを北上して
2個目の角を左折したところに
菊坂通りがあります
緩やかに下り始め、本妙寺坂を横断して
言問通りと交わる坂下の三叉路までをいいます
本郷という地は 江戸時代、武家屋敷・寺社が
たくさん存在しました
菊坂一帯は 江戸時代は岡崎城主本多家の
屋敷があったところで
この一円はかつて菊を栽培する者が
多く住んでいたため 菊坂と呼ばれた とされているそう
明治10年(1877年)に、旧前田家上屋敷跡に東京大学が
創立されると 教師や学生 学者用の下宿が増え
文士たちも集まってきたのだそうです
そこには 樋口一葉・石川啄木・宮沢賢治
徳田秋声・坪内逍遥・金田一京助春彦親子 などなど
そうそうたる面々が この地本郷に住んでいたのだとか!!
菊坂 地図上のピンクの線を歩きます
菊坂の標識です
『菊坂 本郷4丁目と5丁目の間
此辺一円に菊旗有之、菊花を作り候者多住居仕候に付
同所の坂を菊坂と唱、坂上の方 菊坂台町、
坂下の方菊坂町と唱候由(御府内備考)
とあることから、坂名の由来は明確である。
今は、本郷通りの文京センターの西横から、
旧田町、西片1丁目の台地の下までの長い坂を菊坂といっている。
また、その坂名から樋口一葉が思い出される。一葉が父の死後
母と妹の三人家族の戸主として、菊坂下通りに移り住んだのは
明治23年(1890年)であった。
今も一葉が使った掘り抜き井戸が残っている。』
と書かれてあります
では 本郷通りから入ったところから
写真 左側の工事現場は
もとは「燕楽軒」というフランス料理店があり
若き日の宇野千代が18日間だけ給仕として
働いていた所なんだとか
(大正7年頃の話)
在りし日の「燕楽軒」↓ 戦災により焼失
(web上より引用 著作権切れてます)
菊坂は緩やかに湾曲し 距離も長いので先が見えません
この「菊坂通り」の看板に書かれた地図が↓これです
坂を少し歩いたから振り向く
また歩いて 振り向く
振り向いた方が坂の曲がりがわかるので・・・・また振り向く
途中 蛇行しています
菊坂下近くになると 樋口一葉が通った質屋
旧伊勢屋質店が当時のままの建物で現存しています
前を過ぎてから写真を撮ったので
上り向きになっていますが
順序としては 菊坂を下ってきて右側にあります
樋口一葉はどんな気持ちでこの建物を
眺めたのでしょうね~
今は菊坂跡見塾として使われているそうです
菊坂下 本郷5丁目郵便局前です
まだまだ 菊坂周辺 続きます!!!