2018年 6月2日(土)
久しぶりに 坂道めぐりをしてきました
今回は 千代田区編です
①
・帯坂
・東郷坂
・行人坂
・南法眼坂
・永井坂
②
・袖摺坂
・御厩谷坂
・五味坂
・鍋割坂
・九段坂
を 歩いてきました
このあたりも 少し歩けば
たくさんの坂に行き当たります
また長くなるので 二つに分けました
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まず JR市ヶ谷駅から出発しました
今回初めて知りましたが
市ヶ谷駅は千代田区と新宿区にまたがっている駅のようです
(新宿区だけだと思ってました)
このあたりは かつては旗本や御家人の屋敷が
軒並み並ぶ 武家屋敷エリアだったということです
一時は 旗本屋敷が500軒以上もあったとか
元祖 山の手の一つとして呼称され
現代においても高級住宅街して評価されているのだそう
そう言われてみると 歩いていると
そこかしこに 石垣の名残があり
遠き江戸を思わせます
市ヶ谷は 徳川家康が城の西側の守りを固めるために
この一帯に「大番組」と 呼ばれる旗本たちを
住まわせたそうで 「番町」 という地名は
ここから生まれているとのこと
有名な怪談「番町皿屋敷」は
このあたりの物語のようです
市ヶ谷駅改札をでて信号を渡り
左に行きすぐに右折すると
「帯坂」はありました
しかし 実は そこが帯坂かどうかは
坂の上まで行ってみないとわかりませんでした
実際 初めは 坂を通り過ぎて歩いてしまい
途中の 道路表示板で確認して 戻ったのでした
こうしてみると 坂道指標は
港区が一番熱心に丁寧に 提示している気がしますね
坂上と坂下に二本置いてあるのですから!
帯坂
ここは 千代田区です
坂下から歩いてみて やっと
坂上の表示にたどり着きました
表示が 坂上にひとつあるだけなので
どこからどこまでが帯坂と呼ばれているのか
わかりませんでした
上っていって
やっとここが帯坂 ということがわかりました
「帯坂」
名前の由来は
怪談「番長皿屋敷」のヒロイン・お菊が
髪を振り乱し
帯をひきずりながら逃げたという伝説から
つけられたとか・・・・・
なるほどー リアルだなぁ~
今 この坂の両側には
棋院会館や水道会館などの建物がありとても落ち着いた静かな坂で
名前のような そのようなおどろおどろしい
雰囲気はみじんも感じられませんでした
(当たり前だけど) そして 坂上です
別名 「切通坂(きりどおしさか)」 と呼ばれ
市谷御門へ抜ける道として切り通された道だとか
そう言われてみると
スパっとした 切れのいい坂道に見えてきます
坂途中から下を見る
坂途中から上を見る
帯坂を上り 左折してしばらくいくと
「御本丸大奥石碑」がポツンと置いてあります
御本丸大奥石碑・・・・「御本丸大奥・御武運長久」などと刻まれた石碑
説明版によると、石碑はマンションの建設前にあった岡村邸の
庭園に置かれていた物で、造立に携わったとおぼしき人名が
刻まれているが、ここに屋敷を拝領した人物ではない、とのこと。
ゆえに、石碑がなぜここにあるのかは、不明ということだ
画面下の方 真ん中に石碑が小さくポツンと
クリックすると その場所が分かると思います
標識は 坂下のものです
この字体は 普通なんだ・・・・
さっきの帯坂の字体は なんだったんだろう? 坂下 東郷坂を下ったところで ふりかえる
坂の左手に 東郷元帥記念公園 があります
ここに日露戦争で活躍した海軍軍人の
東郷平八郎の屋敷があったことで
坂がそう呼ばれるようになったそうです
それまでは 東郷坂は 法眼坂と呼ばれていたとか
下っていきます
標識からさらに下り 東郷坂上をみる
坂上 遠すぎて あまりよく見えませんね
さらに同じ道を歩いて行くと
今度は上り坂になります
この道は アップダウンがあり
同じ道なんだけど 3つの名前が付いています
この坂は 「行人坂」(ぎょうにんさか) と言います
坂名の由来は
「何某の法印」と称する行人(修行僧)が
住んでいたことにちなんでおり
法印坂、法眼坂とも呼ばれるとのこと
行人坂上から振り返り
遠くに東郷坂の上りをみる
(写真中程の横断歩道から向こうが東郷坂)
法眼とは僧の階級で、中世以後は医師や
絵師や連歌師などにも授けられた称号で
この坂も 宅間法眼(あるいは斎藤法眼)なる人物の
右側に 永井坂 左側に袖摺坂があります
「永井坂」