そ
「私達はそこのトラックで有度山の
茶畑まで先導するから
後を追って来なさい。」
泰平がズボンのポストに差し込んでいた
色褪せた紺色のキャップを頭に乗せ手で
ポンとキャップを叩き右手で押さえた。
ヨシが首に巻いていた布タオルを頭に
絞め直し二人とも準備万端だ。
泰平が運転席に座り、ヨシが助手席に座る。
静かにドアを閉めて周りを確認して、
泰平がエンジンキーを回し
軽くエンジンをふかしている。
泰平が窓から顔を出して、
車に向かいなさいと合図をする。
「はい。畏まりました。
先導していただきありがとうございます。」
鉄太を先頭に三人が駆け足で、
社用車に戻りそれぞれ席に座る。
鉄太は運転席。凛子は助手席。
柏崎は後部座席。
手際よくシートベルトを付けた。
その時、田中夫妻を乗せた軽トラが、
先導する為に社用車の前に到着。
鉄太がエンジンキーを回してエンジンを
軽くふかしたのを確認して、
軽トラが走り出した。
法定速度を遵守する立派な安全運転。
ちょっとは速度超過したい鉄太にしてみれば
じれったくて運転しながらもタメ息。
意外と呑気な凛子さんだ。
何とも思わず済まし顔。
まぁ高齢だし仕方ないと納得している。
柏崎に至っては
もう寝るわけにはいかない！
背筋を伸ばしてシャキッ！
どれくらい走ったか？約1時間ぐらいか？
左に茶畑を眺める事ができる。
真っ青な空に白くまばらに浮かぶ雲。
そして濃い緑の茶畑。
こんな光景は日本でしか見られない。
先導している軽トラが左折し細い畦道に・・
社用車が後を追う。数分後軽トラが停まる。
鉄太も静かにブレーキを踏み停まった。
前方に茶色い倉庫が見える。
鉄太がドアを開け目にした光景は、
田中夫妻が生涯懸けて育て護り通した
見事な茶畑だ。
「はぁ～着いたぁ。ここが田中夫妻の
茶畑かぁ。いい眺めだなぁ。」
ゆっくりとドアを開け凛子が鉄太を視認。
お行儀良く静かに足下を揃え地面に降り立ち
やはりゆっくりパタリとドアを閉める。
そして・・はぁ～ふぅ～とか言いながら
鉄太の左隣をキープ。
視線で軽くジャブを入れる凛子。
「凄いわね。私は初めて見る景色よ。」
ドアを力強くバタンと開けて・・。
ドシッと思いのままに
足を地面に踏みしめて。
両手を宙にスーっと気持ち良く伸ばした。
眠りから覚めた子供が気持ち良く微笑んで
両手を腰に当て満足な柏崎君。
「はあぁぁ～。着いたぁここが茶畑かぁ。
まぁ、京との宇治には敵わないな。」
私は今！乙女タイムをまたまた邪魔された！
眉毛がピクピク動いてしまうその女の名は
坪崎凛子・・隠れツンデレ事務職独身。
鉄太と目が合うかな？合わないかな？
ちょっとはドキドキしてたのに・・。
ユルいおアホな声でまたまた台無し・。
「あんた馬鹿ぁぁ。」
上京して音沙汰の無い馬鹿息子は・・？
どうしてるだろうか？
明るくて調子が良くて憎めない性分が、
そっくりな営業マンが目の前に居る。
だんだんと目が細くなる・・。
懐かしさと切なさが混じり合う度に、
お母さんの含み笑いになっていく。
胸が熱くなる・・芯から想いが溢れる。
「馬鹿じゃない・・よい子だよ。」
茶髪のウルフヘアーにお洒落な眉毛。
微笑むと八重歯が見え隠れする。
たまに籠を持って
手伝ってくれるのは良いのだが、
30分もすると・・肩で息をして四つん這い。
縁側に座りボトルから麦茶をコップに注ぎ、
口を尖らせ涙を滲ませながら喉に麦茶を
一気に流し込む一人息子。
公務員の受験に合格する為に、
都内の専門学校へと進学した。
学費は自分で稼ぐからと電話一本・・。
それからは音沙汰無しだ。
「高校卒業してね、
上京したのは良いけれど・・・。
音沙汰無くてね。」
斜め上の上目使い・・。
坪崎は御機嫌だ。
柏崎の空気を読めない言動を、
きっかけとしてお客様との距離が
近づいた事は間違いない。
田中夫妻の表情から緊張が取れた。
柏崎のユルい言動から上京した
御子息を偲ぶ・・田中夫妻だ。
口元がキリリと引き締まる。
瞳がお客様を見据え
自然と目元に 力が入る。
事務職を経て身に付いた
ぷっくり唇が印象に残る含み笑い。
お客様の心を開いてきた凛子さんだ。
鉄太も無言で頷く・・。
柏崎は・・意味もなくにっこり～。
「柏崎と似ている・・御子息が
いらっしゃったんですか。
上京して音沙汰無し・・。
御心痛察します。」
御叱りを受ける自分を想像すると、
意味もなくにっこり微笑む癖・・柏崎だ。
柏崎と目が合い何度か瞬きをしつつ、
その場しのぎの含み笑い。
柏崎君の責任でしよ・・振り向き、
横目でチラっ凛子さんだ。
まぁ、結果オーライだからいいか。
僅かに目を細め含み笑い。
柏崎がパッと気持ちを切り替えて、
最敬礼！
「先程は場にそぐわない言動を
取ってしまい申し訳ありませんでした。」
泰平とヨシが見合ってクスクスと微笑み合う。
歳を一緒にいい感じに重ねてきた鴛鴦夫婦だ。
鉄太が大きく瞳を開けてホッと半笑い。
納得してゆっくり頷いて・・
すこし気が緩んだのか
白い歯が見え隠れするぐらい微笑む凛子。
良く分かんないけど夫婦揃って、
微笑んでいる・・
口をすぼませ瞳で二人を交互に見る柏崎が
ガッツポーズ。
「いやいや別に構わないよ。
面白い営業マンで良かったなぁ。
茶葉を保存している倉庫へ案内しよう。」
鉄太の視線の先・・前方約200メートル。
茶色の倉庫が見える・・。
社長はこの事を知ってて。
踊る心を押さえきれず先行する田中夫妻を、
足早に追う。
坪崎も柏崎も遅れずに鉄太を追う。
顕光も成長したもんだ・・部下を見れば分かる
御満悦な泰平がポケットから、
倉庫の鍵を取りだし扉を開く。
「ここではその時期毎に摘んだ茶葉を
時系列に区分けして保存してるんだ。」
まず、泰平とヨシが先に入り靴棚に靴を収め、
グリーンのスリッパに履き替え、
木目調の引き戸の前で三人を迎える。
鉄太が先に入るとフローリングの床が
目に飛び込んで来る。
右には白い木目調の3段の靴棚が
据え置かれているぱっと見た感じ18個数
靴が収納できそうだ。
三人が靴をそれぞれ棚に収めると、
靴棚のすぐ隣、三人の目下に
銀縁のステンレスのスリッパ棚がある。
これは都合が良いとほっこり微笑み三人が
スリッパに履き替える。
夫妻の隣には間仕切りのホワイト系のクロスが
貼り付けられた壁が、
横にズドーンと身構えている。
壁には茶摘みまでの課程が
パネルで紹介されてあるようだ。
壁の前には、
木目調のサイドボードが2つ見える。
鉄太から見て左のサイドボードには、
木目調のデジタル表示の置時計。
その隣には卓上カレンダー。
右のサイドボードには幾つか
陶器製の小皿がパッと見たら10前後、
茶葉がさらりと色を添える。
白色の陶器と茶葉の緑か鮮やかだ。
鉄太が興味深々とばかりに駆け寄り、
１つ小皿を手に取った。
そして・・また柏崎が得意になる瞬間。
「それ・・サンプルですよね。」
差すな人差し指で・・柏崎ぃ。
すぐ調子に乗るなぁ。
顕光がいたら眼鏡ごしに
瞳を細めて微笑む瞬間だ。
京都で小皿に乗ってるサンプルの茶葉を、
何度も見てきた柏崎だけに・・。
右人差し指で・・田中夫妻を差す！？
・・・どうして僕はここに居る？・・・
何度も何度も時が
止められる感覚に陥ってしまう鉄太。
僕が言いたかったのにゆっくり苦笑いの鉄太。
ここでキレなきゃあたしじゃない。
指で差される感覚を味わえ柏崎ぃぃぃ。
右人差し指からビーム・・出ません。
しかし何かでそうな凛子の人差し指が、
柏崎を差す。
「それ・・あんたが言う？」
両手を胸の前に組んで右手の人差し指で、
差されてる事に気付き・・。
右手でなってない～なってないポーズの
柏崎・・君。
「それ・・サンプリングですよね。」
発言ですか？
俺はしってますから～両掌を宙に向ける
アメリカンなリアクションが？
まさか！ヨシさんにブレイクする？
「面白い子だねぇ・・可愛いじゃない。」
ヨシさんは今は亡き林家こん平が大好きだ。
笑点の大喜利ではこん平さんが何か話す度に
煎餅を食べていても緑茶を飲んで、
クスクス笑う。
摘みたての緑茶に少々堅めの海苔巻き煎餅が
笑点の大喜利におけるヨシさんの
必須アイテム。
そしてこん平さんには及ばないけど、
やんちゃな子供がそのまま変わらずに
営業マンになりました・・そう伝えてくる。
人をからかう為に調子良くおどける。
でも、決して憎めない。
見てるだけで、穏やかな
ゆるい自分にしてくれる。
目が細い猫目男子に感謝するヨシだ。
「君は営業マンだけど～
俳優にも向いてるなぁ。」
最近の営業マンは・・こしゃまくれた子供。
話を聞くと、知らず知らずに舌打ちしそうな
思わず青色吐息を我慢しないとならない。
何故か？根拠無き自信に溢れているのを憂い
説教したくなるが？耐えて「思案いたします」
逃げ口上でしかないのに？満足して帰る。
そんな営業マンを遠くに眺める事もある。
恐れ入ったぞ顕光・・良い人材を育てた。
素直・爽やか・明るい！それだけで良いな。
恵比寿顔の泰平だ。
「柏崎はムードメーカーです。
いつもその明るさに助けられてます。」
目を閉じながらの半笑いの柏崎君。
照れてるなぁ・・右掌を後頭部に添える
その仕草が・・ウザイ！
その間にさりげなく鉄太の隣に駆け寄り、
鉄太が右手に乗せてる小皿を取った・・。
凛子さん今度こそ乙女タイムを！
意気込みが十分に伝わってくる。
声が僅かに上擦り視線をガンガンさりげなく
隣に居る鉄太にぶつける凛子さん。
「これが茶葉のサンプルですかぁ。
こんなの見るのは初めてですね。」
僕の時は幾度となく止まる・・。
嘘です。止まらないです。
何故？僕の掌に無い？
白い小皿に
緑の茶葉が添えてあるサンプリング。
何か言おうとしたら？
・・え？早いです凛子さん。・・
サッと小皿を取り去る凛子さん。
更に何度も視線をガンガンぶつけて来る。
・・あたしが言うのよ。・・
そう解釈するしかない鉄太が柏崎を見ると
右手で口を隠しプッと含み笑い。
元々柏崎の発言のせいだとタメ息の鉄太。
「茶を摘む季節は夏から秋なんだけどね、
一年間で茶葉がどう変化するか見て
ほしくてね。」
説明しながらもクスクスそれでも、
思いっきり笑えない泰平が含み笑いで耐える
同じ事を考えてる泰平だねぇとヨシが頷く。
しかし、ヨシは我慢できなくて大笑い。
右手で口を隠しながらも耐えれない。
おもちゃを取られた男の子が、
・・僕のおもちゃを・・
立ち尽くしている姿が面白く見えて見えて。
春日部鉄太がヨシを見つめる。
・・僕は今日、見知らぬおばさんに
物凄く笑われました。・・
不思議と癒される悪い気はしない。
距離が縮まった事は間違いない。
眼鏡の坊や・・春日部鉄太さんに感謝しよう
両手を合わせて一拍子のヨシだ。
「それにしても仲がいいのね。」
柏崎の一言で始まった一連のやり取りが、
ヨシの一言で収まりほっと胸を撫で下ろす
凛子さんと鉄太。
ところが一人だけ全く気にもせずに、
視界に真新しい何かが目に留まると、
周りが見えなくなる・・営業マン。
なんだかんだでチーム春日部と田中夫妻との
距離を近くしてきた柏崎だが・・。
二人の気持ちなんて気にもせずに、
徐に歩きだし、
・・おいおい柏崎どうしたどうした。・・
呆気にとられ心配する二人の視線なんて、
気にもせずに・・ピタっと止まり一言。
これぞ柏崎！と納得する一言が、
凛子と鉄太の心を凍らせる。
「恐縮です。一つ気になるのですが、
その奥に見える引戸はなんですか？」
柏崎の得意気な笑みが疑惑と驚きか、
秒速5cmで押し寄せて来る鉄太の瞳に映る。
やや口角の上がった唇の訳を覗かせて？
そんなそんな柏崎で良いのかな？
カメラのシヤッターを押すが如く瞬きをする
鉄太・・そしてその隣でわなわな震える凛子
ある衝動が全身を駆け巡るのが分かる。
この男にデコピンをぶつけてやりたい。
そして3人の演出を見ていたヨシ。
コメディドラマの一場面のようで、
クスクス微笑んでいる。
「え～面白い子だねぇ～。柏崎君。
1年間に摘み取った茶葉を1ヶ月単位で
12区画に分けて保存してるのさ。」
いつだったか？それは初めて新茶を
摘み終わった頃だ。
出荷には無理な茶葉を
どうするか思案していた
泰平が折り畳んで携帯できる椅子に
座り煙草を吸っていた・・。
そこにビニール袋を手に取ったヨシが
喜び勇んでドアを開けて、
余った茶葉をビニール袋に入れて
保存しておこうと提案したのだ。
室温調整を全自動で管理できるシステムを
ソフトウェア会社に頼む事にした。
冷暖房も何台か必要だ・・・。
お互い顔を見合わせて苦笑い。
同じタイミングで垂れ目になり、
やはり同じタイミングで伏せ目がちに
微笑んでタメ息だ。
それから数年後少しづつだが確かに、
冷暖房も増やしたソフトウェア会社に
何度も見積りを御願いした。
ようやくシステムが完成した頃は、
近所の茶農家でも有名な茶農家にまで、
成長していた。
使いすぎて携帯の灰皿が灰まみれだった。
だから、今日という日が来たのだ。
「君達のようにイベントで
茶葉を必要としている方々が訪れる
場合いつでも提供できるようにね。
普通は代金を 頂くのだけど、
顕光の会社の社員だし
ただで提供するよ。」
言い終わりに泰平が引戸を開ける。
その後に続くヨシ・・
何処かやるせない鉄太が宙を見上げ
フフッと微笑み、凛子はしぶしぶ納得。
なんだかんだ勝利の美酒に酔う柏崎。
入ってみれば鉄太は思う。
・・いわゆる倉庫だ。・・
コンクリートの地面に木製の壁。
木製のドアが横並びに12個数。
全く同じのようだ。
両端に窓があり陽光が差し込み、
ほんのり明るい。
見上げれば蛍光灯が6つ・・。
泰平が壁際に佇み近くには、
コントロールパネルが備え付けられている
「このコントロールパネルで部屋全体の
温度と湿度を気温を基に調整するんだ」
忘れた頃にトラブルがやって来る。
倉庫内は茶葉の芳しい香りで満ちている
換気せんが窓の上に脚立を使えば届きそうだ。
それでも埃っぽい・・
柏崎が思わず大きなくしゃみを・・不幸にも、
何故か？凛子さんが居る方向へ放つ。
不可抗力とはいえ今の柏崎は恐れる子・・。
・・お前は私を怒らせる為にいるな？・・
凛子さんの瞳は語る・・・。
その時、ヨシが大きなくしゃみを・・。
微笑みが一変して泣きそうなヨシがうずくまる
「痛いねぇ・・あぁ痛い。
こりゃ～ぎっくり腰だぁ。」
気が沈む・・胸がズーンと、
重苦し押し潰される。
凛子の記憶に甦る光景・・。
・・おばあちゃん大丈夫？大丈夫？・・
胸を押さえつけ息苦しく途絶えた凛子の祖母。
じわじわと瞳を閉じぱっと目を開く。
その瞬間ヨシを背負う体勢を整える。
泣き出しそうなのが鉄太にも伝わる。
ゆっくりゆっくり腕に肩に力を込めて、
ヨシを抱き起こす鉄太。
俺がくしゃみをしたのが原因なのか？
突然の出来事にぐるぐる頭が回り来る。
柏崎がスマホを手に取り救急車を
呼ぼうとすると・・
凛子が優しく労るように掌でさすりながら
「大丈夫ですか？どうしたらいいだろう
近くに病院とか接骨院はありませんか？」
目頭を擦るように何度も何度も掌で
じわ～と緩み湧いてくる涙を拭う。
本当に優しい子達だ・・。
私達が必要とされてはいない。
私達が提供する茶葉だけが必要なんだろう。
分かる分かる・・それが商売だ。
そんな印象を残す営業マンしか来なかった。
「毎度毎度ありがとうございます。」
優しいつもりなのか・・？
礼儀正しさは折り紙付きなのだが？
どれだけ言葉を重ねても？
こちらの労苦など知る由もない。
何処か遠い目で見送る日々が多かった。
それだけに・・
三人の営業マンを誇りに思えるだろう
顕光が羨ましい泰平だ。
「山の麓に・・接骨院があったかな～。
君達が居てくれて良かった。
私一人だったら立ち往生だ・・。」
フルカラーフルボイスで甦る・・。
忌まわしい記憶。
ゲラゲラ笑い声を響かせていたのに、
息を付く間も無くおばちゃんが、
永遠に沈黙したのだから。
血の気が引いてく泣き出す事も無いままに
・・もう何もできないのは嫌なのよ！・・
黙っていても伝わる・・。
凛子さんは何かを抱えている。
耳まで赤らめている泣き出しそうな
女の子が必死に我慢しているようで。
鉄太は初めてだ声も掛けられない
女性に会ったのは。
坪崎さんが面を上げない。
俺が見えてないわけではないだろうが？
救急車を呼べばいいのにと・・。
だが？必死な坪崎さんの声に、
俺はスマホをポケットに収めた。
・・ここは坪崎さんに任せよう。・・
「私が社用車で接骨院までヨシさんを
連れて行きます。春日部君と柏崎君は
残って泰平さんの話を聞いてほしい。」
胸騒ぎには逆らえない。
ザワザワする慣れてない感覚だ。
普通なら泰平さんがヨシさんを・・。
だが？軽トラはぎっくり腰には優しくない。
分かる分かるよ凛子さん。
唇を結び、柏手を打つ鉄太が思案する癖だ。
社外の誰かを社用車に・・論外だ。
その時・・鉄太は動いた。
財布からエンジンキーを取り出した。
「凛子さん。社用車のエンジンキーです。
ヨシさんを接骨院まで送り届けてください」
鉄太がヨシさんを背負っている凛子さんの
掌に渡す。
汗が滲んでいる・・否応なしに伝わる想い。
無言で頷きゆっくり立ち上がる凛子。
囁く声が切なくて・・痛い痛い。
エンジンキーを懸命に握りしめる凛子。
涙を含ませた小さな声がその場にいる誰もに
静かに届く。
・・ありがとう春日部。ヨシさんは、
私に任せて。・・。
柏崎は思い知る無言の凛子の凛々しさ。
何も言えなくて・・どうしてここまで？
営業マンのすることじゃない。
何処かあざとい京都支社の営業マン。
損得だけでしか話ができない。
我慢してもやりきれない日々を思うと、
目の前の光景がぼんやり見えて・・。
信頼を込めたガッツポーズで
微笑んだ凛子が歩き出す。
「春日部・・ここは坪崎さんに感謝しよう。」
凛子に背負われてヨシが遠ざかる。
熱が走るギスギスする痛みに耐えてるだろう
泰平も経験があるから良く分かる。
涙がじわじわと溜まる・・
声を出すだけで痛みが増すのだ。
何故息子がいない・・。
東京で何をしているのか？連絡も無い。
皺も増えた力も無い・・。
照りつける日差しに寒風に耐え忍耐の日々
やっと手に入れた安住の日々が？
終わろうとしたのだ。
軽トラックではぎっくり腰で苦しむ
ヨシは連れて行けない。
更に痛みが増し
取り返しのつかない事になる・・。
まさに奇跡的な偶然だ。
爽やかで明るく憎めない・・何より優しい。
三人の営業マンが眩しく見えて。
目頭が熱くなり一瞬目を閉じ、
パッと見開く泰平だ。
「君達が居てくれて良かった。
みなさんは 優しい営業マンなんだなぁ・・。」
営業マンの本懐は、お客様の真心に触れる事。
聞けば分かる・・淀みの無い震える声。
自分が気付けば微笑んでいる
見れば分かる柏崎の信頼に溢れたやや垂れ目な
ユルい微笑み。
そして鉄太の一言・・・。
「恐縮です・・・。」
いい目だ何も憂いも無い迷いも無い。
当たり前の事を当たり前に行っただけです。
言葉にしなくても目付きと心構えで伝わる
純粋な趣きは誰をも納得させる。
唯・・唯・・当たり前の事を当たり前に。
困ってる誰かを助けただけなのだから。
一度深く頷いて思案する泰平が面をあげた。
感謝・・その言葉がぴったりの泰平だ。
「さて、茶葉でも譲ろうかな。
去年の夏に摘んだ茶葉でいいな。
1kgもあれば充分だろう。」
その頃、凛子は有度山の麓にある
接骨院に向けて社用車を走らせる。
病院の印がナビに映る。
距離にして2～3キロメートル。
数分で到着の予定だ。
ハンドルを握り締めナビを無言で見つめる
今だけは・・生涯一度あるか無いか？
それぐらい必死だ。
思い出すのだ・・
後部座席までヨシさんを乗せるまでの事。
体重40kgぐらいだろうか？
決して軽くはない。
誰かの人生を背負う重さは初めて味わう。
もしも・・？なんて考えたくはない。
足取りは決して速くは無い。
足を運ぶ度に呻く声が足を運ぶ原動力。
後部ドアに手を掛けてゆっくり開けて、
ヨシさんを静かに優しく降ろす。
真剣な時程黙る凛子が大きく息を吐き
一先ずは安心する凛子だ。
それから数分経つ。
カーナビから予測するに接骨院 までに、
急カーブが幾度となくある。
来るときは全然気にもしなかった。
カーブに差し掛かる度に、
「大丈夫ヨシさん・・・。」
気配りが絶えない凛子だ。
後部座席シートに横たわるヨシさんが、
やんわりと「ありがとう」
無事に急カーブを切り抜けて、
見えてきた看板がある。屋上にでかでかと
「赤星接骨院」残り僅か30メートル・・。
慎重にハンドルを握りしめる凛子さん。
振動を抑える為に徐行する・・。
アクセルペダルに足を添える感じでいい。
左方向にハンドルを切り駐車場に到着。
目の前には扇の形状3段の階段がある。
恐らく鉄筋コンクリート2階だろう。
・・着いた。赤星接骨院。・・
静かにドアを開けた。
駆け出す駆け出す凛子。
階段を駆け上がり一息付いた。
自動ドアに踏み込む一歩に受付に居る
看護師が気付く。
病院とかによくあるような緑色のスリッパに
落ち着いて履き替える凛子が心底願った言葉
「おばあちゃん・・
ぎっくり腰のおばあちゃんを助けて！」
真摯な瞳・・見つめられる側が息を呑む。
その聞き手の心を真っ直ぐ射ぬく声を聞いた
看護師がナースコール・・。
トゥルルートゥルルー凛子が固唾を呑んで、
あれが来ないな～あれだよと黙って待つ。
数分後、二人の看護師が凛子の望む物を
両端で持ちつつ運んで来た。
一際、凛子の目が見開いて。
靴に履き替え自動ドアを開ける凛子。
無言で担架を広げ運べる状態にして、
自動ドアからドアまで僅か数秒だ。
凛子なら転けそうな勢いで颯爽と
階段を駆け降りる振る舞いには、
プロ意識しかない。
看護師の一人がドアを開ける。
開口一番に優しく響く「大丈夫ですか。」
痛みに耐えながらも「ありがとう。」
ヨシさんが安堵の微笑みを浮かべて、
目を閉じた。
その時に男性のドクターが駆けてきて、
横たわるヨシを優しい手付きで慎重に、
まずは座らせた。右手を肩に掛け、
左手を両膝の下に潜らせて、
息を付く間も無く一気に抱き上げる。
地に置いてある担架にそっと寝かせた。
二人の看護師が息を一つに合わせ、
担架を持ち上げ院内に向かう。
足並みを合わせドクターがバイタルサインを
計測している。階段をゆっくり速く登り
凛子の前を通り過ぎた。
心無し落ちついた凛子が自動ドアをくぐる。
先程声を掛けた看護師が話すには、
2～3日程度入院すれば大丈夫との事。
大きく安堵のため息一つ。
振り返り接骨院を背にして社用車に向かう凛子
ドアを開けベルトを着用し
アクセルペダルを踏む。
おばあちゃんと遊んだ光景を思い出しながら。
その頃鉄太と柏崎は泰平から思わぬ言葉を
頂き感無量。二人で互いに握手を交わし、
「俳優みたいだなぁ。」と微笑む泰平。
それもそのはず、去年の茶葉とはいえ、
春先から初夏にかけて摘むことができる
一番美味しく緑茶を味わえる茶葉を、
頂くのだから。しかも1kgだ。
茶会のイベントを成功させる！
自信と期待に胸が膨らむ鉄太だ。
「泰平さんの御厚意には感謝の言葉すら
思い浮かびません。」
一度玄関に戻り木製の背もたれ椅子に座る
泰平に鉄太に柏崎。
年輪がいい感じに刻まれた柔和な笑顔で
泰平が椅子を用意してくれたのだ。
泰平の目の前に柏崎と鉄太。
大役を果たして肩の力が抜けほっこり気分の
鉄太に泰平が労いの言葉を掛ける。
「礼には及ばないよ。
ヨシを助けてくれたんだし。
久し振りにいい気分だ。」
柏崎の第一印象は？
いかにも固定営業しかできない営業マン。
帰宅部かなぁ・・色白だし。
素直で明るい。
新規開拓営業とか不向きかなぁ。
いい人オーラが溢れだす鉄太。
ところが？
新規開拓チーム営業のリーダに向いていた。
柏崎に対する機転の効いた応対。
誰の心にも染み渡る優しい声が、
お客様の警戒心を解きほぐす。
際立つのが、
なんとなく言うことを聞いてしまう
柔和な眼差し。
・・成約おめでとう春日部。・・
「良かったな春日部・・おめでとう。」
その頃・・
S字カーブの登り坂を走行中の凛子は、
鬱陶しいと思いながらも
タメ息を吐きながらも安全運転をする私！
そんな意識を叩き込み、鉄太と柏崎が待つ
倉庫へ向かい、今に到着した。
困ってる誰かを助けた凛子を誇りに思い、
静かにドアを開け・・・。
「ただいま戻りました！」
ささっとスリッパに履き替え、
凛子を誇らしげに見つめる二人を見て、
・・私は決めました・・
凛とした眼差しで指名したい奴を・・
そして 凛子の一声で
柏崎の運命が動き出す。
「あの～柏崎君。
あなたがさ茶葉を車で走って
ホテル神楽坂まで持ってくれば？
午前3時頃に会社を出発すれば
午後2時ぐらいには到着するでしょ。」
柏崎と鉄太が二人直ぐ様に見つめ合い、
同じタイミングで坪崎を指で指してしまう
・・坪崎タイム来たよね。・・
鉄太が前で両手を組み、
粛々と御伺いをたてる家臣の如く・・。
柏崎は柏崎で遠くを眺めながら・・
・・認めるんじゃなかった。・・
やるせなさを目で精一杯訴えて。
営業はT・P・Oが大事なんだよ
記憶に甦る牛崎の言葉を思い出す鉄太が、
引き笑いを我慢できずに、あぁ必死。
「おかえりなさい坪崎さん。
ヨシさんは大丈夫だった？」
恐れ入ります凛子さん・・。
向かって右側の壁際に掛かってある
パイプ椅子を手に持ち、トコトコ歩いては
鉄太の隣に座る凛子さん。
両手を組み腰に据えて「フゥ」一呼吸。
チラチラ目配せ鉄太・・柏崎が「プッ」
・・僕の話を聞いてない。・・
「うん？」な視線の凛子が両手をポン！
「2～3日入院すれば大丈夫だって。
もう安心安心。」
コメディドラマを観ているお客さん。
年輪を刻んだ柔和な微笑みのはずが？
苦笑いになる泰平。
凛子が両掌を重ねてポン！
その時、他の二人の表情が切ない悲しい
笑ったらいけないが・・笑いたい。
我慢して微笑む泰平だ。
「そんな事だろうとは思ったけど、
たまにあるんだ・・本当に良かった。」
やるせなく・・腕時計を見ると、
午後3時前後。右手のひらで腿(もも)を、
ポンポン叩くのは・・柏崎優弥。
・・何か聞こえたよな～。・・
凛子さに激しく目配せ。
・・まさか？朝早くに～
茶葉を持ってこい。・・
虚ろに宙を見上げ思案する柏崎君が、
ちょいどや顔で・・。
「あの～坪崎さん・・・
俺に何か～何か頼み事ですか？」
無理矢理学級委員にさせられた・・。
苦い過去を抱える鉄太。
その経験から得たその場における対応力。
その1・・僕はいじめられっ子の味方！
今、鉄太は微妙なポジションだ。
坪崎と柏崎の間に挟まれている。
互いをチラチラ目配せする鉄太を見て、
クスクス微笑む泰平だ。
その2・・しきりたがりの女の子には、
下手に出る。
うやうやしく御伺いをたてる鉄太であった。
「凛子さん・・。
いきなりそんな事を言われたら、
柏崎も困るよ。」
泰平は良心的だ。泰平は良心的だ。
柏崎と呼ばれた子の目が虚ろじゃないか。
俯いているじゃないか。
心此処にあらずじゃないか。
ニヤニヤ微笑みたい泰平さんの
ナイスアシストが決まる！
「まぁね、配送していただくのもありだよ
万が一問題があってもある程度は、
保険があるし自社社員だと負担が、
大きいんじゃないかな～。」
ジワジワ迫る仄かな感動で、
目元が緩みだんだんと目を細めて微笑む柏崎。
・・泰平さん。あなたは優しい人だ。・・
それに引き換え、同僚なのにね～。
まぁ 困った方だなぁ坪崎さん。
さっきの感動を返せこの野郎・・。
メラメラと滾る想いを隠した瞳を見せつける。
「坪崎さん・・往復10時間掛かるんだよ。
俺はプロのドライバーじゃないんだよ。
営業マンであって・・人間なの。」
鉄太がスッと立ち上がる。
凛子さんは事務職で現場感覚が無いんだ。
ここでトラブルを起こすわけには・・。
二人とも気が立っている。
静かに二人を見守る鉄太。
そんな鉄太の視線に気づかない凛子は、
柏崎の物言いに目を見開き、
仄かな怒りを言葉にぶつける。
柏崎は柏崎で凛子の目敏い視線に、
頭を抱えこう言いたそうだ。
・・あなたは現場感覚が無いんだ。・・
「はぁ・・それでもプロの営業マン。
ここで頑張ってこそプロでしょ。
商品を運ぶだけよね。」
言い合い揉め事を解決するのは、
学級委員の務めだった。
その頃を思い出す鉄太が両手を挙げるポーズ。
・・まぁまぁって鉄太が言い出すぞ。・・
そんな事を言われたなぁ・・。
視線と視線がぶつかり合う直線上に、
鉄太が割って入る。
「まぁまぁ、二人とも落ち着こう。
ここは会社に戻ってから社長に
相談して決めよう。」
凛子の目は今まさに、乙女の目！キラーン！
・・・鉄太君には嫌われたくない。・・・
両手を重ね合わせモジモジ凛子さん。
すかさず鋭い目付きでちょいドヤ顔で！
柏崎に激しく視線をぶつける。
・・あんたは、別にいいんだよ。・・
その速さは刹那の如し！
そして、凛子さんは乙女な時間を演出！
「そうね・・そうよね。
春日部君の言う通りね。
ごめんね柏崎君。
勝手な物言いですみませんでした。」
亀の甲より年の功かな？
泰平が微笑みながら目を閉じすぐに開ける
・・ここまで頑張ってきた3人だ。・・
クスクス笑えてくるのは、
気付いてない気付いてない。
この3人は営業が仕事じゃないんだ。
柏崎と呼ばれた男は口喧嘩をして、
負けてもめげてない少年だ。
坪崎さんは言いたい事を言うだけのお姉さん
春日部君は学級委員。
ビジネスライクがいけない！・・とか、
微塵も無い！
唯、一生懸命なだけだ。
「え～え、春日部君の言う通り、
顕光と相談しなさい。」
恐れ入ります。
学級委員長の経験を
見事に活かした春日部鉄太君の言う通り。
・・結論はお客様に委ねなさい。
それが営業のルールだ・・
牛崎課長の言葉をいつでも忘れまいと、
両掌を胸の前で重ね合わせ、
ホッとする鉄太だ。
「助言を頂きありがとうございます。
社長と相談し熟考を重ね、
御電話を一報差し上げます。」
「朗報を待ってるよ」
ガッツポーズを決めた右手を振り振り。
上機嫌の泰平だ。
・・久々だ。営業に一生懸命な若者達。・・
何処までも嘘を上手に使えない。
責任感は強いが目的意識が高い故に、
我儘な柏崎と凛子が互いに向かい合う。
凛子が右手でごめんなさいの合図。
柏崎がプッと微笑み何度も頷く。
鉄太が二人に勢い良く視線を向けて。
泰平に軽く頭を下げる。
面を上げて振り返り玄関口に向かう。
鉄太が立ち止まり腕時計を見ると、
帰社するのは午後8時前後・・か。
分かっていてもタメ息を吐く。
靴を履き替えた 柏崎と凛子が
手を振りながらも鉄太をおまちかねだ。
待たせたくない鉄太がスリッパを、
パタパタと鳴らしながら早歩き。
二人に待たせたねとウィンクをして、
手早く靴に履き替え、3人一緒に振り返り、
泰平に別れの御挨拶。
納得と満足が残る印象を泰平に残し、
社用車に向かう3人だ。
遠ざかる背中に満足と納得から生まれる
微笑ましい目付きで眺める。
・・顕光が羨ましい。・・
社用車のテールランプが点灯し、
西新宿の海堂商事に向かい走り出した。
その頃に、営業1課 課長徳丸和希は、
オフィスにて煙草を吹かしながら、
不敵な微笑みを一人の男に見せつけていた。
その男の名前は秋宮淳。
・・・興島物産の株が下がった？・・
牛崎の電話からのお知らせだ。
物流業界を支えてきた企業で、
数少ない一部上場企業の興島物産だぞ。
缶コーヒを一気飲みする顕光。
そんな事も知らずに、
意気揚々と社用車を
走らせながらはしゃいでる3人に、
暗雲が立ち込めていた。
僕は後で知る事になる・・。
嫉妬という悪意が誰かを狂わせる現実を・・
続く