のかもしれない。


あたりまえ?


いや、それが違う。

ご存知の通り、同じ出来事でも人によって認知の仕方が違う。

いろんな人を見てきて思うに、不幸であることを自覚している人は、不幸を自覚する才能があるんだと思う。

何が起きても不幸と思わない人もいるのだと思う。

わたしとかはそのようなタイプ。

そもそも、不幸とはなんとなくそこに運の要素が大きいニュアンスがあるが、自分に降りかかる出来事、認知する出来事は大概自分自身に起因する。

だからこそ自覚できて認知できるのである。


全ては選択の結果である、というか。


そこに存在するのも、それをしているのも、その人といるのも、そのような状態であるのも、すべては自分で選択した結果であり(受け身であるという選択もありうる)、責任が伴うのであると。


それを、不幸というのは、その責任を放棄しているような気がする。

まあ、責任を取らないという選択もあるよ。

そうすると、幸せは近づいてこないけど、楽ではあるかもしれない。


なので、不幸が自覚できている時点で、認知が偏っている可能性があるので、もし、不幸から脱出したかったら、認知の仕方を工夫する必要があるかもしれない。