まあ、常識というのは常に変わりうるというか、医療もある時代では薬であったものが、ある時代では毒になる、そういうものであるのだろうが。
これは医療全般において言えることではあるが、精神科領域になると殊更強く非難される気がする。
なかなかエビデンスがはっきりしないのもあるし、ついこの最近まで普通にやられていたことが、今では禁忌になっていることが多いのもあると思う。
有名な例で言うと、ロボトミーである。
ノーベル賞を受賞するほど、その時代では画期的な治療法であったのだ。
そのころは抗精神病薬なんてなかったから、幻覚妄想状態で危険な患者さんは、閉じ込めるか、縛り付けるしかなかった時代。
さまざまなショック療法が試されて、ようやく辿り着いたところであったのだと思う。
その当時は、「精神外科」というような科もあったのだ。
たぶん、これからもそういうことがなくなるわけではないと思う。
エビデンスとか安全性とか、なかなか精神科領域では必ずしも通用しないところがあるから。
何が正しく、何が間違っているのか。
確かに、ロボトミーもその当時では、正しいことであったのである。
これは、誰の責任なのかだとか、ガイドラインに則っていれば、真実が覆されてもセーフとか、そんな陳腐な話にしたくない。
人の人生に関わるとは、そう言うことである。
私のしていることが、善意という名の何者かであるのかもしれなくても、それがエゴだとしても、自らの責任に基づいてやり抜くだけであるが。
たまに、ゆらぐのである。
ある患者さんから言われた言葉がよぎる。
笑顔で、これが正しいと信じきって、やっているから怖いんです。
そんなことないと思ってるけどね。
でも、そうなっている時もあるのだろうね。
ひとまず、私の場合は、自分という実験台がいたので、精神科治療が絶対悪ではないと知っているだけいいのかなあと思っている。
絶対善とはいえないけどね。