斎藤十郎兵衛なら、ともに阿波藩のお抱えなので栗山も知っています。
回想にもあったとおり、栗山は初対面の際に治済の顔をしげしげと見ておりました。
(だから栗山が定信の陰謀に加わっているのか。)
鬼平が驚いた様子で謎の男を追っていたのは、しっかり覚えています。
これまでの治済の悪逆非道ぶりが、御三卿から実子の家斉まで結束する動機となり、治済専属の毒の専門家だった大崎さえ家斉の乳母の立場に戻る流れは見事です。
この菓子か、濃茶ならどうやって、なぜ家斉まで、眠るだけだったのかという展開は、まさしく「そう来たか」の連続でした。
さすがに町人の蔦重に出る幕はありませんでしたが、定信相手の「分をわきまえる」を逆転させた啖呵と決め手の大崎の手紙を持っていたことで主役の面目を保ちました。
とはいえ、蔦重の生涯のドラマの、しかもラスト直前の回でのこの展開は、さすがに無理をしていないかとも思います。
替え玉を出し本物を幽閉するのは阿波藩にとってもあまりに負担が大きいし、清水も唐突に出てきた印象です。
蔦重が定信相手に「春町の供養と楽しげに話すことに対しても理解が追いつきません。
それはそれとして、まずはこの面倒な状況をよく着地させたと拍手すべきなのでしょう。
逆に、ここまで政治を語りきってしまったせいで、どうやって本屋の話に立ち戻り「蔦重栄華乃夢噺」を収めるのだろうとも思います。
すでに、生きている人物が総出で蔦重と再会する大フィナーレ説(期待)も出ています。
はたして、次回、どんな「そう来たか」が待っているのでしょうか。
というわけで、今回の秀逸は、
毒を食らわされたなら食らわせ返すというみの吉の誰に似たのか一人前の戯けぶりでも、
家治、家基、田安、白眉毛と並べられるとあまりに大物すぎる大崎の被害者の名でも、
前回の治済が察知した定信の字と対になる、家斉には見ただけでわかる大崎の字でも、
耕書堂で買いあさる黄表紙ヲタクの定信のすでに定着しつつある「初めてのコミケ」しぐさでも、
意味ありげに治済が被っていた能面を、同じ顔なのに夢中で被る斎藤十郎兵衛でも、
よく気がつく人が指摘する、治済が被った「泥真蛇」が示唆する女性の怒りと「俊寛」が示唆する流罪でもなく、
森下佳子も当初はここまでやる構想はなかったと話していることからもうかがわれる、演じた生田斗真をはじめ、脚本も演出もどんどんその怪物ぶりを研ぎ澄ませ、
ここまでやらないと物語として収まりがつかなくなるほどにまで至った、一橋治済の巨悪としての存在感。