どこにも悪意の者がいません。
蔦重は蔦重なりに歌麿に絶大な信頼を置きつつ、なんとか道を開こうと懸命でした。
歌麿も、そんな蔦重の気持ちを理解しつつも、
思いがすれ違うばかりで蔦重にはけっして届かないことがわかっているからこそ、
耐えに耐え抜いた末に訣別しました。
歌麿が吉原にいます。
外に出られぬ花魁をデッサンするとあって、蔦重と足を運んでいるようです。
おかげで、つい蔦重と歌麿の子ども時代のことを思い出してしまいますが、
二人の関係は吉原で身寄りのない子として育った昔まで掘り返さねば、
理解も清算もできない深さがあります。
吉原でも茶屋でも、歌麿は輝いている人の傍にいる孤独で真摯な人が気にかかります。
その報われぬ「恋心」が蔦重の傍にいた子ども時代の自分と重なるのでしょう。
「そこだけ」は気づく蔦重は、歌麿が新しい妻を探していると手放しの喜びようです。
修復しようのないズレがますます広がります。
再度の吉原では、歌麿が同席してはいるものの、
蔦重は新しい構想をどんどん繰り出します。
歌麿は愛想笑いもできず、真顔で引いていきます。
やっと言えた歌麿の「あのころじゃなくて(妻も子もいるし)良かったこともある」は、
自分も蔦重もあのころとは変わったんだという宣言のようです。
ついに歌麿が「別れ」を切り出します。
うろたえる蔦重がジタバタしますが、的外れでますます歌麿の気持ちは離れます。
よく気がつく人が、歌麿が嫉妬したのは(ていでなく)子どもだと指摘していました。
蔦重の子(でもいいから身内)になりたかったのであれば、「店をくれ」もわかります。
そこへ、ていが早くても産まねば母体が危ない状態になりました。
その時、瀕死のていが語る言葉にうならされました。
「(蔦重に)子を育てる喜びを(経験させたい)」
それは、商売はわかっても人の心に無頓着な蔦重を、
育児というリハビリでなんとかしたいという祈りに近い思いです。
そんな蔦重にシンクロしたのが定信でした。
定信も(史実はともかく)政策は極端だし蔦重から憎まれる側の役でしたが、
黄表紙ヲタの自分を抑え込んでまで正しいと信じた道を進んできた結果でもありました。
そして、定信もまた皆が自分の思い通りに動くという慢心から解任されたのでした。
というわけで、今回の秀逸は、
低級で安価な河岸ばかりが繁盛している吉原が象徴する江戸経済の静かな深い沈降でも、
「ヨソ見」程度でもきちんと再現してしまう歌麿先生のホンモノの描写力でも、
子のための玩具を「甥だから」と歌麿に持たせてしまう蔦重の悪意のない残酷さでも、
尊号の件で前例を重視した定信にしては軽率な有力譜代に限定した大老職への期待でも、
一度はロシア船を追い返せても時間稼ぎにしかならない「長崎入港なら認める」でも、
並べられた能面の数が関与した者の多さを示すのか、
定信の失脚芝居の開会を告げるかのように治済が被る能面でもなく、
蔦重も落ち着かなかったとはいえ、
歌麿に自分の幼名の「からまる」を自然に与えていたことを踏まえると、
もともと蔦重にとっての歌麿は、心が通じたりいがみ合ったりするような他者ではなく、
勝手に一心同体と思い込むことで縛りつけているだけの「籠の鳥」であったこと。