歌麿がとことん蔦重(というか森下佳子)に振り回され、引き裂かれた回でした。
むろん、蔦重に悪意があるわけではありません。
蔦重の思いと願いは、稀有な画才のある歌麿を一流の絵師として育てあげることです。
それは、本来、歌麿の望む後世に良い作品を遺すことと同じであるはずでした。
ただ、身上半減のダメージが蔦重をひずませたことは否めません。
残りの半分の畳を早く入れねば、滞っている吉原への借金を返さねば、そんなあせりが「入銀」ばかりにこだわるような拙速な商売をさせたのでしょう。
しかし、それは歌麿とは関係のないことです。
弟子に描かせて、歌麿の名だけ入れればいい。
多くの弟子を抱える絵師ならば当然なのかもしれませんが、歌麿は釈然としません。
商品を量産する工房と突出した表現者とではめざすところが違うのでしょう。
artisan(職人)の中からartist(芸術家)の自意識が生まれた瞬間でした。
そもそも、蔦重はこれまで「そう来たか」のアイデアでやってきました。
金のことは吉原に頭を下げればいくらでも出てきました。
ずっと、駿河屋の父らに甘やかされてきたのです。
歌麿から絵の仕事を「よく出来たアイデア」ではなく「自分の借金」と結び付けられ、蔦重は答えに窮します。
蔦重は、歌麿との間に一心同体に近い信頼関係があると思っています。
そこは歌麿も否定しませんが、蔦重への秘めた思いだけが大きくすれ違っています。
蔦重にすれば「子ができた」と言えば歌麿もわかってくれると思ったのでしょう。
しかし、それは歌麿を絶望に突き落とす言葉でした。
一方、定信はロシア問題、尊号問題と内外情勢で追い詰められ、ますます原理原則ばかりを強硬で乱暴に命令するマシーンになっています。
治済の謀略にのせられたようではあるとしても、錦絵人気が経済を回すことさえ憎むようになっては民が苦しくなるばかりです。
というわけで、今回の秀逸は、
それでも蔦重が尾張の本屋から教えられた新しい流行を予感させる「俳諧」でも、
どこかの大統領を思い出させる定信の「言うことを聞かないなら援助を止める」でも、
つよの位牌が示唆する粗野な蔦重と繊細な歌麿の間を仲介する人の不在でも、
吉原の人たちと蔦重の親しげな会話に(歌麿は入っても)参加できないでいるていの、つよとよく似た頭痛以上に心配な「孫がいても恥ずかしくない年齢」での初産でも、
お口巾着のはずのていの妊娠を、女のたかはともかく、蔦重よりも先にみの吉が知っているもう一つの信頼関係でもなく、
鱗形屋の次男を養子に迎えた史実から発想したのであろう、
いかにもな悪役だったが錦絵で名を成した信頼できる本屋でもあった西村屋の、前半から手代と妙に仲良さげだったゆえに子がなく迎えた二代目が示す、
歌麿には挑発的でも煽情的でもある「当世美男揃」の案思のそう来たか。