序盤から蔦重は次々と降りかかる難問に「そう来たかあ」で解決してきたのですが、
そればっかりでもなあと感じ始めた終盤になって、蔦重がどんな人間で、周囲は蔦重をどんな思いで見てきたかを深めてきたようです。
そして、その合間に森下佳子のさまざまな心の叫びが散りばめられています。
まずは、引退する須原屋です。
「知らないと知ってるやつにいいようにされちまう」ので、「本屋には、正しい世の中のために良いことを知らせるという務めがある」とします。
それは、本屋の/には限らない志の伝授であるとともに、現代のデジタルポピュリズムへの危機感を訴えているようです。
歌麿は、カウンセラーのつよを通じて心を整理し、蔦重を思う自分の気持ちに気づかれても良いことはないとした上で、
誰かの心を癒す作品を蔦重と作ることができたら十分と、それこそ「セミの抜け側」のようにつぶやきます。
いつしか歌麿は、昔のように蔦重にイヤミを言うまでになりました。
そんな歌麿に(は蔦重とすごした時間の長さで絶対に追いつけない)ていが嫉妬し、
書物(≠地本)はわからぬと蔦重から任されていた案の一つ書の手本が採用されると、
歌麿の「美人大首絵」の輝くような雲母摺に対抗して、その「ゆきかひふり」の背景を黒の石摺にすることを提案します。
そして、頭痛でフラグ立てまくりのつよは、
情報収集の名目で自分に髪を結わせないほど忌避している蔦重をなんとかつかまえると、髪を結い直しながら、蔦重を駿河屋に預けた本当の理由を語り、
その心の傷で「ばばあ」としか言わない蔦重に、ついに「おっかさん」と言わせます。
一方、孤立に向かう定信ですが、尊号の件はなかなか厄介です。
家康が定めた禁中並公家諸法度では、親王は摂関家より下とされています。
そこで、朝廷は天皇の父である典仁親王に大上天皇の尊号を贈ると伝えてきましたが、家康の法度に反するし、認めると将軍家の威厳にかかわるとして定信は拒否します。
そこに口をはさんだ治済の言葉が鋭いものでした。
統治権が「朝廷よりの預かりもの」なら、幕府が「朝廷に指図するのは筋がおかしい」。
定信は委任されているからこそ介入できると押し切るのですが、この大政委任論は幕府の上に天皇がいることを公式に認めてしまうものでもありました。
というわけで、今回の秀逸は、
栃木のU字工事、長野の峰竜太とのバランスか加藤千蔭で出演した群馬の中山秀征でも、
変顔は許してもセリフも動きも最小限に留めた人相見の太田光の適切な処理でも、
明らかにねらってきているナウシカボイス島本須美の「こわくない、こわくない」でも、
男か女で人を分けない歌麿が瑣吉をやりこめた、女好きなのに/だからこそホモ・ソーシャルが大切と考える男たちの矛盾でも、
ていの「女の子だって学びたい(世になってほしい)」という思いが爆発した、一冊分でも紙を文字で埋めつくす渾身の案30本を出してきた本気でもなく、
唐突に日本橋の店に登場して以来、蔦重の良いところ悪いところ、歌麿との関係、歌麿の思いををじっと見続けたつよの、
言いたいこともあったがずっとタイミングを見計らっていた末に、ここへきてよく言い切った「あんた(歌麿)が蔦重の義理の弟なら、あんたも私の息子」。