「タローマン」同様、NHKドラマからの映画化である。
しかも、「タローマン」に負けないくらいに「でたらめ」だし、
「なんだ、これは」の連続だった。
ただし、オダギリジョーの監督・脚本・編集・主演なので、すこぶるオシャレだ。

冒頭、ドラマを見ていない人のために「オリバーな犬」の世界観を圧縮して示しつつ、
ドラマを見ていた人のためにドラマの名場面をチラ見させたところで、
そういえば、まだだったなあというオープニングがガッツリ出る。
カッコイイ。

なつかしい狭間県警監察課警察犬係のメンバーは世界観の構築には貢献するものの、
ハンドラーの青葉(池松壮亮)以外はほぼカメオ/アリパイ出演で終わる。
大人の事情もあるのかもしれない。

なので、物語を動かすのは、
ドラマ・シーズン2で示唆されたコニシさん(佐藤浩市)の行方不明、
唐突に始まる漆原(麻生久美子)の父(鹿賀丈史)の相談だか告白だか、
元警察犬ハンドラーにして記者の溝口(永瀬正敏)の探求心と、
脇のクセモノたちの活躍だったりする。
そして、颯爽と登場した伝説のハンドラーの羽衣(深津絵里)は圧倒的なヒロインだ。

「カムカムエヴリバディ」ファンにすれば、
冒頭、ドレスアップした深津絵里がステージで切なく歌っているところに、
トランペットケースを手にしたオダギリジョーが入ってきただけでザワザワする。
深津絵里は(「カムカム」の時とは違って)動じることなく歌いきる。
(EGO-WRAPPIN'の「色彩のブルース」だそうだ。)

懐かしさに心が沸き立つ一方で、別作品なのだから当然に別人だし、
別の出来事としてきちんと受け止めねばならないという、
少しズレた二重写しのようなものを観る方が勝手に感じてしまう違和感というか、
確信の持てないまま心が浮遊しているような気分につかまえられしまう。

映画はそうした違和感や浮遊感をどんどん増幅、深化、錯綜させていくのだけれど、
「落ちて割れるグラス」といった小さな手がかりが残してくれるので、
それらをなんとか手がかりに迷路をさまよっているような気分にさせてくれる。

だから、深津絵里が突然フレディのように「エーオ」と歌ったり、
麻生久美子が鹿賀丈史、嶋田久作、吉岡里帆、菊地姫奈とインド映画のように踊ったり、
(鹿賀丈史も嶋田久作も70代だよ。)
高島政宏(だったのか)の「不思議なおじさん」が不思議に登場したり、
オダギリジョーのオリバーがなぜか古畑任三郎のマネをするという、
「なんだ、これは」の連続なのに、ちゃんと一本の映画になっている。

それだけ丁寧に作られているというのもあるだろう。
パンフレット掲載のスタッフの声からは(パンフで監督の悪口は言わないだろうが)、
豊富な知識、繊細かつ大胆な発想、耳の良さからくる音へのこだわり、
世界観を明確に視覚化する構想力など、オダギリジョーの多才な職人ぶりが語られる。

そんなわけで、感動とかそういう方向の映画ではまったくないのだけれど、
「一瞬だけ映ったとされるいろんなアレ」をもう一度見極めたい気分になっている。
すぐでなくてもいいので、NHKで放映してくれないものだろうか。
NHKのコンプライアンスについても配慮しなきゃというようなセリフもあったのだし。