前回、春町の切腹が重く描かれたことを受け、
今回の蔦重は春町追悼企画で本が売れていても浮かない顔です。
しかも、喜三二が去り南畝も筆を置いては相談相手になる戯作者もいません。
ていもたしなめてはくれますが、危うい時にストップをかける役割に徹しています。

そこでと頼る京伝ですが、ドラマは改めてその才能を粒立てて見せてくれます。
遊郭の指南書のはずの「傾城買四十八手」は、
卓越した描写力で登場する女郎のことを「幸せになってほしい」と思わせるほどだし、
善玉悪玉の言葉を生んだ「心学早染草」は(気に入らないが)面白いと蔦重に言わせます。

もう一つ、京伝が才能を見せたのが、
大きな岡場所と化した吉原を何とかしたいという蔦重の思いを汲み取りつつ、
政道をからかう黄表紙を書いてさらなる弾圧を受けることを心配するていにも応え、
吉原の「ありのまま」を描いた洒落本にすることを選択したことです。

そして、すでに田沼ネタの黄表紙の挿絵で過料を受けていた京伝が、
黄表紙は面白いことが一番と開き直るのに対し、
倹約政策のシワヨセが女郎のような立場の弱い者を直撃すると痛感する蔦重が、
権力におもねるエンタメばかりでは戯けられない世になると憤るのも、
現在にも通ずる論争です。

それにしても数ある寛政の改革でも、江戸の経済の冷え込みに直接関係する棄捐令、
政治を裏から動かしてきた大奥に対する倹約令と人事介入、
wikipediaレベルでは登場しない中洲新地の取り壊しを描くあたりも、
「べらぼう」が見せたい歴史が巧妙に選択されています。

その合間に、定信や治済の今後に微妙に影響する
「尊号一件」を挟み込んでいるのも周到です。
今のところ、御三家と治済の意見が合わないこともあってか、
自信満々に改革を推し進めていくように見える定信ですが、
底の浅さからかかえって追い詰められているようにも見えてくるのでした。

というわけで、今回の秀逸は、
実は現存している栃木宿の豪商が描かせた「雪月花」三部作などの歌麿の肉筆画でも、
「洗濯女」の仕事をしていたきよの登場するたびに増えてくる足の発疹でも、
きよの足に気づかぬはずもないのに笑顔のままでいる京伝の遊びなれたやさしさでも、

京伝が襖を開けて逃げだしたことでわかってしまう、
蔦重と京伝がもめている部屋のすぐ隣ですでに始まっていた扇屋の通常営業でも、
般若の面をかぶり鬼退治を続けてきた桃太郎侍だったにもかかわらず/だったからこそ、
「悪をなくせるとは思わぬ方が良い」と説く紀州の治貞の達観でもなく、

17年の年齢差があるとはいえ、
「赤い鳥逃げた…」などで知られる劇団離風霊船に高橋克実が入団した1987年には、
任侠映画からテレビ時代劇に転じ「桃太郎侍」などで長く主役を張っていた高橋英樹と、
出演者クレジットで「W高橋」でトメに並んだという偶然だろうけどなかなかの快挙。