吉原が舞台だったころの「べらぼう」で強調されていたのは身分制度でした。
それなりの豊かさの中で、支配者であるはずの武士が金に苦労し、
吉原者は差別されながらも豊かな暮らしをしておりました。
そんな中を泳ぎ渡ってきた蔦重は、市井の「英雄」として描かれてきました。

しかし、新之助の長屋へ出入りする蔦重は身なりからして周囲と違います。
同じ民として「お上」(という身分)と対峙しているつもりですが、
大店の主となった蔦重はそれだけで怨嗟の対象です。
それを象徴する言葉が、新之助の「田沼の世で一番成り上がった男」です。
経済大河にあって、蔦重は民と対峙する側なのです。

考えてみれば、出入りする戯作者たちも、喜三二と春町は藩の重役だし、
(こんな時に限って/だからこそ刀を見せつける)御家人の南畝は政変で大変そうです。
意次側近の三浦は、直々に読売の配布を依頼してきます。(本当に意次の命か?)
どう言い訳しても、蔦重は田沼派の政商です。

一方、もう一人、頭を打ったのが治済でした。
政敵を暗殺することで家斉を将軍につけ、その父として権力を握る。
そのふるまいは、いかにも昔ながらの英雄大河の悪役です。
しかし、ドラマには登場しない家治の「遺言」もあり、
不在/幼少の将軍を補佐すべく御三家が前に出てくると様相が変わります。

御三家はもとより定信、意次ら現に領国を経営している大名と比べると、
治済は政治経験がない将軍家の部屋住みでしかなく、
親藩、譜代、外様の絶妙なバランスが制度化された幕藩の統治システムの中にあって、
「将軍の父」というだけでは「公に命を下せる立場ではない」のでした。

雁の間詰に復帰した意次が「裏の老中首座」というのはさすがに無理筋と思いますが、
新老中を任命しようにも、有能・有力な譜代が田沼派ばかりなのはそのとおりでしょう。
定信の老中就任が棚ざらしにされる中、
治済自ら流民コスプレで扇動するとは、その大胆さを賞賛しつつも陰りも感じます。

ついに、新之助から「世」という言葉出ます。
「おふくと坊は世に殺された」「米がないのは売らぬから」「売らぬ方が儲かるから」
「売らぬ米屋がなぜ罰せられぬ」「罰する側がともに儲けているから」
そして、「おかしいと声をあげることも許されぬのか」
これが、経済大河です。

というわけで今回の秀逸は、
ここへきて意次復活に動く、それこそ権限はないが意見は重い大奥の地位でも、
旧態依然な大奥ゆえに持ち出し、幕閣では反論できない「将軍の定」の厄介さでも、
協力はしても責任を取るのは蔦屋だけと念を押す鶴屋の商売人らしいリスク管理でも、

民の思いをくみ取らず優等生のようにお上の代弁を続ける蔦重を見て思い出す、
学生時代の他のグループを一方的に暴力学生と指弾していた人たちのことでも、
学があり武士身分という裏付けがあるとはいえ、
興奮する長屋の民を鎮めるまでの力を持つに至った新之助のリーダーシップでもなく、

大河ファンになるほどの日本史好きなら誰でも、
「江戸の打ちこわしでは盗みも人への危害も火事もほとんどなく、
抗議行動として整然と米屋を破壊した」という評伝を、
なぜか頭に残っている謎に対する答えが、
みなもと太郎の「風雲児たち」の印象的な描写であったという衝撃。