


今まで福島市やいわきなどには行った事がありましたが
なかなか会津まで行く機会がありませんでした。
旦那は小学校の修学旅行以来と言っておりました。
福島は結構広いので、浜通りと会津では別な県くらいの感覚があるようです。
会津若松駅前の大きな赤べこ
2日目に泊まったホテルのロビーにも大きな赤べこがありました
ついつい鼻先を押してしまいます。
ゆ~らゆ~ら首を振るのが可愛い
さて、病院を出て近くの道の駅に立ち寄った時には雨が降っていたのですが
お昼を食べて少しすると雨も止み、青空が出て来ました
これはチャンスと鶴ヶ城に行く事に
お堀を越えてこの石垣をぐるりと回ると、お城が見えて来ました
鶴ヶ城です
難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城。
戊辰戦争で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヶ月で、城は落ちなかったそうです。
石垣を残して取り壊されたのは明治7年の事だったそう。
全体図はこんな感じですね
お城の中に博物館が併設されており、収蔵品展「幕末・戊辰戦争」をやっておりました。
説明書きに、
”徳川将軍家への忠義を守り、京都守護職となって孝明天皇からも厚い信頼を寄せられた。最後まで「サムライ」であり続けようとした会津の姿を、展示資料として紹介します”
・・・と、ありました。
本当に、「勝てば官軍、負ければ賊軍」なんだなぁ、と思わずにはいられません
忠義を尽くしただけなのに、おかしな話です
撮影禁止ゾーンが多かった為、写真はほぼ無く・・
てっぺんの天守閣に上ってみると
何故か雨が降っておりました
さっきまで青空だったのに
・・で、
降りてしばらくすると、また晴れて来たという
う~~ん、タイミングがぁ☆
外の茶室にも行ったのですが、雨の後で通路がビチャビチャだった事もあり早々に退散☆
城址公園内を歩いていると、「八重の桜」の綾瀬はるかさんのメッセージがありました。
この桜の木は福島の復興を願って「はるか」と名付けた桜だそうです
鶴ヶ城を見た後、もう少し時間がありそうという事で
「会津武家屋敷」にも立ち寄りました
旦那は修学旅行で来たらしいです。
会津藩松平家譜代の家臣の西郷家のお屋敷。
西郷家は代々家老を務めた家柄らしいです。
会津23万石の家老のお屋敷となれば、さすがに立派です
お人形がいたりしました
「御成の間」には松平容保様がいらっしゃってました
「什の掟」は会津ではそこらじゅうで見かけました
会津の子供達は小さな頃からしっかり教育されていたんだなぁと思います
「ならぬことはならぬものです」
この最後の家老・西郷頼母のお屋敷に西軍が攻め込んで来た時には、
頼母の母や妻、幼い子供達までもが自害していたという事でした。

頼母亡き後、西郷家に養子に入って再興したという西郷四郎。
なんと姿三四郎のモデルだそうですよ
講道館に入り、嘉納治五郎の元で必殺技「山嵐」をひっさげ柔道に邁進。
写真を見るとダウンタウンの浜ちゃんに似ていてクスッ。
身長も150cm位だったそうです。
庭の片隅にあった新選組の旗。
少し寂し気に見えました