人と出会えば

いつか必ず別れはやって来ます。

 

 

9月24日

80才の誕生日のその日に

元気だった母が突然逝ってしまいました。

 

もう話が出来なくなるなんて思いもしなかった。

新しい引越し先の住所も伝えられなかったなぁ。

 

※長い一日の事を書いています。物忘れが激しい私なので、記録として書いたところがあります。お付き合い頂かなくて大丈夫です。

 

9月後半、お彼岸のお墓参りに行こうと思っていたのですが

その頃は毎日が雨降り・・・

「晴れたら行こう」

と思ううちに、もうお中日を過ぎてしまい

雨降りではあったものの、24日に大宮へと向かいました。

 

傘をさして市営霊園にある父のお墓に行ってみると

人が来た様子のないお墓は、天気のせいもあってか妙に寂しそうに見えました。

「ごめんね~、もっと早く来れば良かったね」

一人でそんな事を喋りながら

「やっぱりこの雨降りだからお母さんもお墓参り来てないんだ」

・・と思いました。

 

ざっと掃除をして、買って来たお花を飾って、お線香をあげて、お父さんに

「みんなを見守っていて下さい」

・・とお参りしました。

 

その後は同じ霊園の奥の方にある母の実家のお墓にも行き

「お母さんをよろしくお願いします」

・・とお参りしました。

 

いつもより少し遅くなってしまったので

これから実家に寄る事を母に告げようと電話をしましたが、出ません。

その時は出掛けているのかな、くらいに思っていました。

 

バスで一旦大宮駅に戻り

誕生日だしと思い、お花のアレンジメントとワッフルを購入してから

またバスに乗り実家へと向かいました。

もう夕方ですが、電話をしてもやはり出ません。

 

普段、母は16時過ぎの訪問は「遅い」といってあまり喜びません。

この日は何故か実家が遠く、急いでいるのになかなか着かないなぁと思っていました。

 

16時半頃実家の裏手に着くと、何故か雨戸が閉まっています。

「旅行にでも行っているのかな?」と思いました。

 

この日珍しく実家の鍵を忘れて来てしまったのですが、以前母から”父の仕事場にスペアキーがある”と聞いていたのでそれを探して入る事にしました。

鍵はほどなく見つかり、表の玄関の方へ。

コープの配達が届いて積まれていました。

「あれ?配達今日だっけ?やっぱり出掛けてるのかな」

 

そう思い、引き戸の真ん中に鍵を入れ回しましたが開きません。

「???」中から鍵がかかっている?

慌ててもう一つの端の鍵を開けて、家の中へ。

 

部屋の灯りがもれています。

外出する時に防犯の為に電気を点けて出掛ける事はあるけれどー・・

 

お風呂の電気が見えた瞬間、ドキッとしました。

よぎる嫌な予感。

 

急いでお風呂のドアを開けると

浴槽の中で背中を向けて動かなくなっている母が・・・・

 

嘘ーーー

 

見たくなかった光景。

呼びかけても返事はありません。

 

すぐに「119番しなくちゃ」と思い電話をかけました。

救急であること、一人暮らしの母がお風呂で動かなくなっていること、住所を告げると、「呼びかけて気道確保が出来るようであればして下さい」と言われました。

見た感じから「もうダメかもしれません・・」と私が言うと、「それはあなたが判断出来る事ではないので、今出来る事をして下さい」と言われました。

「もうそちらへ向かっているので頑張って下さい」と言われ、母のところに戻りました。

 

何故かお風呂にお湯はなく、狭い浴槽の中でペターンとお嬢さん座りをして前のめりになっている母。キレイな背中を叩きながら呼びかけましたが、反応は無し。足はもう紫色っぽくなっていました。

 

「一体、いつから!?」

 

ずっとこの状態でいたのかと思うといたたまれません。

もっと早く来ていれば・・!

 

すぐに姉と旦那に電話をしました。

程なく消防車の音が聞こえてきたので玄関先に出ました。

消防隊の方達が来るのとほぼ同時にお隣のおばさんが「どうしたの!」と出て来ました。母の看護婦時代の同僚で、今も看護師として働いている方。状況を話すと一緒に来てくれて、消防隊の「毛布ありますか」の声に私がまごまごしていると、「ここにあるわ!」と素早い反応を示してくれました。「しばらく一緒にいようか?」と言ってくれましたが「姉に連絡したので」というと「じゃあ」と言って戻って行かれました。

 

消防隊の方達はAEDのようなものを何度か使っていましたが、母の反応は無し。

少し遅れて救急隊が到着し、引き継ぎ。その後、女性の救急隊長さんから説明がありました。体温はまだ34・5℃と高いが、その他の状態から既に死亡していると思われる為、警察に引き継ぎますとの事でした。

お薬手帳とかありますか?と聞かれ、テーブルの上の箱の中を探すと、薬袋や血圧手帳が出て来ました。母は毎日血圧や体重を計ってつけていました。最後に書かれていたのは9/21。

救急隊長さんが、薬袋に書かれた母のメモを見つけました。

「9/20、○○○(薬の名前)再開。心臓がドキドキした。2回転倒、変だった。起立困難」

それは血圧の薬だそう。薬はあまり良くないから飲まない方がいいよと言っていて、母も「先生に悪いから貰ってるけど飲んでいない」と言っていたのに!・・・薬のせいだった?

・・っていうか、お母さん、そんなメモ書くくらいだったら119番なり私の所なり、何で電話してくれなかったの???

母は頭に怪我をした跡があったので、その転倒の時のものかもしれないとの事でした。

 

途中、「誰か来てます」との声に玄関まで行ってみると、少し離れた所に住む叔父(母の弟)が悲しそうに微笑んで立っていました。連絡もしていないのに何故?と尋ねると、近所の知り合いから連絡があり、すぐに飛んできたという話でした。ご近所の連絡網、凄い。

 

しばらくして警察が到着。救急隊から引き継ぎ。

いわゆる現場検証が始まり、程なく刑事さんが到着。警察手帳って初めて見たかも。

私と叔父で状況を説明、質問に答えているところで姉が到着。だいぶ遅れて旦那が到着。

警察って住所、氏名、電話番号に生年月日まで聞くんですね。

どうやら事件性がない事を証明出来ないとダメなようです。

(外からの侵入はなかったか、取られたものはないか、死因は何なのか等)

裸で寝かされている母、かわいそう・・・。

 

新聞は9/22の朝刊からポストに溜まっていました。

コープの配達も木曜日なので22日。

お隣のおばさんが母と最期に話をしたのは21日の朝。

母がほぼ毎日通っていた老人会の施設には、ここ2、3日顔を出していない。

 

こう見ていくと、もしかしたら21日の夜にお風呂に入ってこの状態になってしまったのかなぁと思われて、益々いたたまれない気持ちになって来たのでした。

なんでもっと早く来なかったんだろう。。。

 

ひと通り調査が済むと、あとは母の死因の特定が必要という事で、いったん母を警察に預ける事に。CTを撮ってみてそれでも不明であれば司法解剖の可能性もあるとの事。

既に夜遅い時間でしたが結果が出次第連絡がくる為、叔父と旦那には帰ってもらい、姉と2人で実家で待機する事になりました。調査が終わると警察から引き取らなければならない為、葬儀屋にも連絡しておくように言われた為、生前、母がコープのお葬式がいいと言っていたのを覚えていたのでコープの葬祭にお願いする事にしました。

 

警察から連絡が来たのは23時頃。検査が終わったので警察まで引取りに来て下さいとの事。コープに連絡を取り、24時頃に警察で落ち合う事になりました。

まだ夕食を取っていなかった為、私が母と食べようと買ってきたワッフルを2つ3つ食べ、タクシーを呼んで警察に向かいました。

 

夜中の警察。

姉と2人で用件を伝え、ロビーで座っていると、担当の刑事さんがやってきました。

医師の見立てでは、母が亡くなったのは24日の推定14時頃で、外因性ではなく、内因性(心臓)だろうというものでした。発見時体温が残っていた事と、眼の水晶体がまだ透き通っていた事などから、少なくとも12時間は経っていないだろうという事でした。

頭の怪我や手足の擦り傷は、本人が薬袋にメモ書きしていた転倒の際に出来たもので、恐らくはその2~3日、体調が思わしくなく寝込んでいたか、怪我を気にして外出しなかったのではないかと思われる。少し具合が良くなってお風呂に入ったところ、発作が起き、もがいた際にお風呂の栓が抜けてしまったのではないか、という推理(?)でした。

 

えーーー

私が行く2~3時間前だったの?

私が父のお墓の前にいた頃ってこと?

うそ・・・。

 

それを聞いた時”何日も放置してしまっていたのではないか”という罪悪感から少しだけ救われた自分がいました。でもまだ半信半疑の状態。

 

母を引き取るのに書類に記入をしました。

最後に刑事さんに「印鑑持ってないですよね?」と言われ、印鑑の代わりに人差し指で拇印を押すハメに(汗)。指紋取られちゃった。なんか、犯罪者になったような気分。

 

約束の12時頃になり、コープの葬祭の車が到着。

母はそのままコープの安置所に連れて行って貰う事になりました。

警察の裏手で一度母に会わせて貰ってから、コープに託しました。

翌日は安置所のある浦和の葬祭センターでお葬式の打ち合わせです。

 

タクシーで実家に戻り、コンビニで買った蕎麦をすすりました。

姉に布団を探して敷いてもらう間、私はお風呂の掃除を担当しました。ここにいたんだよな・・・と思いながら夜中にゴシゴシ。実感がわかないというか、変な気分。

 

その夜は布団に入ったものの全く寝つけず、朝を迎えました。姉も同じだったよう。

 

翌25日。

午前中に浦和に告別式等の打ち合わせに行き、一旦自宅へ戻りました。

洗濯を済ませ、お風呂からあがった後、初めて涙が出てきました。

多分、あまりにショックな事が起きた時は涙も出ないのではないかと思います。

気持ちが追いつかないというか、処理出来ない。

気が緩んだ時になって初めて感情が表に出てくるんだなぁと。

 

母を発見した時の様子が目に焼き付いてしまっています。

これは一生忘れられないんだろうなぁ。

 

数日後

 

近所の方で9/24に母に会ったという方が弔問に来て下さいました。

お昼頃カラオケに行く途中に母が家の裏手から入って行くのが見えて挨拶をしたそう(!)

その時の母の目は何だかうつろで普通でなく「どうしたのかしら」と思ったとの事。

その帰り、16時頃にうちの前を通りかかった時には雨戸が閉まっていて「あら、もう雨戸閉めちゃったのね」と思っていたら、しばらくして救急車の音が聞こえて、翌日亡くなった事を知ったとの事でした。

 

・・・母はその日のお昼まで動いていた?

この方のお話が聞けて本当に良かったです。

 

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告別式は9月30日に父の眠る市営霊園のホールにて

母の生前の希望通り、こじんまりと家族葬のような形で行いました。

 

今は東京の自宅と埼玉の実家を頻繁に行き来している毎日です。