そう言えば、週刊文春のカメラマンさんのお話してなかったね。


お名前は丸谷嘉長さん。


広末涼子さんの写真集などを撮られているベテランカメラマンさん。


今回、羊は初めまして。なので、どんな方かな、寡黙に撮るのかなおしゃべりなのかな、


色々と想像は膨らむ。


どんな方でもいいから、心が通じ合ったら嬉しいな。私の願いはその一点だった。


撮影の3日前。担当編集者さんからメール。『丸谷さんから、今回のコンセプトが届きました』


開くとそこには、撮影イメージがまるでポエムのように綴られていた。


私はただの被写体ではなく、物語をもつ者としてそこにいる。


ー私の光と影。どちらが本当の私か。光は影を否定しても、影がなければ光は存在しない。


お互いにそちらの世界に行きたいような、けれど今いるそこが心地いいような。


見ているのはこちらか?それともこちらが見られているのか?ー


そんな言葉たちが、不安を確信に変えてくれた。


『この方は、心を撮ってくださろうとしている』と。


プロのモデルさんではなく女優を被写体にするということは、


心の機微を写し出すことが狙いだということ。だって、女優は心を動かすことが本分だから。


私は、“美しい写真”よりも“いい写真”が欲しかった。そういう意味でも、私と丸谷さんの想いは一致していたのだと思う。


かくして撮影当日。


最初はやはりぎこちない。初めての撮影だもの、それは想定内。緊張すると、それを隠すために表情を作り出す。


するとファインダーを覗いていた丸谷さんがすかさず言う、


『目に力が入ってるね。力まなくていい。カメラの奥を見る感じ。肩の力を抜いて。ふっとそこにいて。』


カメラの奥。あぁそうか。私はカメラマンさんに心を撮って欲しいと思っていたけれど、


その為には、被写体である私もまた、カメラの奥、つまりカメラマンさんの心を見ようとしなければダメなんだ。



その瞬間、ふっと肩の力が抜けた。すると、丸谷さんのカメラのシャッター音が鳴り始めた。


あ、心が見えたんだな、と思う。頭を空っぽにして、すとん、とそこにいて、ただ心が感じるままに、したいように、する。


前に一度、初めましてのカメラマンさんに撮って頂いた時、撮られながら涙が出てきた時がある。


そばで見ていたYマネさんはびっくりして『どうして泣いたの?』と聞いた。


分からない。泣くつもりなんてなかったのになんか嬉しくて涙が出た。


結果、そのカメラマンさんの撮った写真は、最高に良かった。


そして今回も、週刊文春トップページにあった毛布に包まれている時に涙が出た。泣くつもりなんてなかったのに心震えて涙が出た。


結果は、皆さんがご覧の通り。


いま思えば、


昔泣いた時も今回の丸谷さんも、心に触れられた瞬間だったのだと思う。届いた心の手が温かくて嬉しくて涙が出たのだと思う。


カメラが写し出すのは顔ではない。心なのだ。


そのことが、改めてしみじみと分かった今回の撮影。丸谷さんとお仕事出来て良かった、と心から思っている。


以上がカメラマン丸谷さんのお話。



以前、週刊文春の巻頭ページに吉田羊出ないかなと呟いてる方がおられましたが、


ごめん、もう出たよ 笑


というわけで長くなりました。ご静聴ありがとうございました。笑


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その日のおまけスナップ。