台風がのろのろと移動していますね。

暴風圏内にお住いの皆様、くれぐれも

ご注意くださいませね。


さて、そんな中わが敏腕マネージャー園長は、

今朝がた、のろのろ台風に飛び込むように郷へ帰省しました。

朝から続く「桂浜は波が高く、傘をさしていられない程の暴風です…」

という台風報道を見るにつけ、無事に着いたのかしら、そもそも飛行機は

飛んだのかしらと案ずるも、一向に返信はなく…

まあ便りがないのは無事な証拠か。

今頃旧知の仲間と笑ってお酒を飲んでいるでせふ。


というのも、明日は園長の??回目のお誕生日でしてね。

毎年彼女は誕生日を実家で過ごすらしいのですが(親孝行やなあ)、

昨年は羊が舞台稽古中だったため、東京でひそやかにお祝いしたんです。

しかもちょっと変わった場所で。。。おっとこれ以上言ったら怒られる(笑)。


で、今年はスケジュールがうまく空いたので、

めでたくいつもどおりの誕生日帰省と相成りました。



ところで、台風と言えば思い出す幼き日の記憶の断片。

九州はこの時期、ご存じのとおり台風の襲来が非常に多いのです。

しかし羊の父は、水害被害の多かった長崎育ちでしたからちょっとやそっとの

暴風雨では驚かず、「これぐらいなら平気だ」「あと2時間もすればおさまってくるから大丈夫」と

お天気お兄さんばりの台風予報でもって家族をいつも安心させてくれていました。



ところが!!

真夜中の台風上陸をTVがしきりに伝えていたその日、

頼るべき父は出張で不在だったのです。

家には羊と兄、姉、母の4人でした。一人じゃないとはいえ、

台風博士の父がいない暴風夜のなんと心細く怖いことか!!

小学生の羊は、今にも泣きそうな顔で家の中をうろうろうろうろ歩きまわり、

面白がる兄に、風で家が倒れたらお前どうするや?とからかわれては

顔面蒼白で布団に頭を突っ込み神頼み。

それでも不安は収まらず、台所で料理をする母にすがり

「父さんおらんで大丈夫やか?」「家が流されんやか?」

(※『やか』とは久留米弁で、『~だろうか』という意味です)

と必死で訴えていた・・・その時!

降り続いていた雨が一層強さを増し、窓ガラスをばちばちと打ちつけ、

風が容赦なく木造平屋建ての家をごうごうと揺らし始めました。


幼き羊の恐怖はもうピークに達していました(笑)。

このままでは家に潰されて死んでしまうと思ったのでしょう。

部屋からリュックサックを持ち出し、着替えを詰め込み始めたのです。

しかし、3日後に着るTシャツを詰め込んだところではたと考えました。

「避難具って他に何を詰めたらいいんだろう?」

リュックを片手に、再び母の元へ走りました。

「母さん、母さん。いつでも逃げられるように用意しとった方がよかよ。

ねえ、なんば入れればいいやか?ねえ?ねえ?」


母は、そこまで心配症の我が子がよほどおかしかったのでしょう。

笑いながら、でも諭すように少し強い口調で言いました。

「そげん心配せんでも大丈夫たい。

でも、そげ心配ならあんたのパンツでも詰めとかんね!」



パンツを詰めておけば避難具として完璧、ではないことぐらいは小学生の私でも

わかりました。

「パンツを詰めておけ」

なんと冷たい言葉(笑)。



しかし。



その一言で、羊の心配は急に醒めたのです。

そんなにもきっぱりと「大丈夫たい」と言い切る母の強さが、

台風博士の父に匹敵する頼もしさを感じさせました。

左手にもったリュックが急に滑稽に思え、

「そうやね、大丈夫やね」と苦笑いしながらリュックをそっと元に戻した羊。



今思えば、頼もしい父が不在で一番不安だったのは他でもない母だったでしょう。

もし何かあれば子供3人を一身に背負って避難するつもりだったに違いありません。

子供に不安が伝わらないように一生懸命笑っていたのですね。



はたして、母の言うとおり家は潰れることなく、

翌朝窓外には澄み渡る青空が広がっていました。

「ほらね大丈夫やったろ?」と母はふふふと笑いながら言いました。

「ほんとやね」と返しながらえへへと笑った遠い秋の日。



写真は、当時その場に居合わせた姉から昨日送られてきた写メ。

台風情報が常時表示されているのは、九州に台風上陸が近づいていた証拠ですね。

リアルや。



台風上陸地域の皆さん、ほんとくれぐれもご注意をば。ね。