わが家は倒壊はしなかったけれど、家の中は物で床が見えない程、散乱。
1階に降りていくのに足を怪我しないよう妹と すり足で歩いて降りて行った。
ん…なんで すり足?
思い出した
真っ暗闇
すっかり忘れていた
自宅なので方向や位置は、もちろん分かったけれど。
妹も「寒っ ⁉」と思って窓が開いていることに気づいたと言っていた。
重い ふすま と、タンスも、よく除けてくれたな。今更ながら本当にありがとう。
下駄箱が倒れたり、引き戸の玄関も開かなく、1階の窓から外に出た。靴は階段にある棚の上に冠婚葬祭用(父、母、私)のがあった。妹のは無かったのでトイレのスリッパで外に出た。
夜、建物の中で寝るのは怖いから、近くにある小学校前の公園で一晩寝た。
今思えばボランティア?の若い人達が、「これしかないけど分けてください」と、お煎餅をくださり半分ずつして食べた。日中 食欲はなく、その日に食べたのは それだけ。だけどお腹も空かない。おかげで、余震と地鳴りに怯えながらも、たくさんの人とブルーシートの上で寝れた。
次から暫くは小学校の教室で過ごした。公園も教室も 老若男女 の人でいっぱい。自衛隊のお風呂にも、お世話になりました。
17日に職場近くの会館で古本の回収があり、手放そうと思っていた本を出そうと前日に用意していた。
当日、その会館は遺体安置所になっていると聞いた。
しばらくして、ゴミ捨て場(ゴミの山)に、名前が書いてあるプリント等が、笑ってしまうほど派手に散らばっていた。職場で 名前のみ知っていた方の、ゴミらしく 「今まで大切に置いとったけど、やっぱり、もう要らんわ~ ‼」 と自分で捨てたんやなぁと思った。
職場(も被災)に行ったときに尋ねると、その方は
…亡くなった…
と。おそらく家族か近所の人がゴミに出したのだろう。今も悲しく、虚しい思い出。
その方と
その物にも
悲しく、虚しい気持ちになる。
故人のご冥福をお祈りいたします。
~1.17 続き~