ああ、わたし、とても綺麗だったねと
涙が出ることもあります。
今はもう失ったものですので
自意識過剰については、大目に見てください。
でも、綺麗という価値観は
結局は主観的なものであって
人それぞれ、違うもの。
世界中の文化共通の、絶対的美人は存在しないし
感覚や育った環境、自分が持って生まれた身体的特徴によってだって
微妙に変わるものです。
だから私は、私の価値観で
今の頭も、髪が無くなったシルエットも『なかなか良いやん。』と思うことで
毎日を平和に、穏やかに生きています。
家中の鏡を、全部裏返して暮らしていた時期もありました。
どんどん変貌していく自分が、悲しかった。
けれど今思えば、世間の基準はあまり意味を成さないのです。
悲しみを越えた場所には、今の自分の価値を大切にしようという感情がありました。
世の中に溶け込むために、人を驚かせないために
仕事時にはウィッグを被りますが、
それはあくまで円滑に社会活動をし、社会人として色々きちんとするためです。生活費とか、納税とか。
本来の私は、この姿。
私が良いと思えば、それで良い。
今では、この頭も非常に個性的で
カッコイイとすら思っています。
賛否両論あるとは思いますが、
円形脱毛症と共に生きる私の、女性としての今の気持ちを
文章に残しておきます。