「女性は道具でしかない」そんな認識が蔓延り結果として崩壊が確定している隣国があります。

 

 そこから逃げ出す美の象徴。Venus (Afrodite) 愛と美の女神を不毛の地で求めるやさぐれ物の中で性愛だけを切り出し道具として扱う国から逃げ出す美の行先は日本。それでも逃れられない不毛からの呪縛。私達のすべきことは一体なんなのでしょう。

 

 中石器時代はそんな不毛さを如実に表しているのではないでしょうか? 不毛の地では何も育たない。愛と美を貪り穢し自らを満たすだけ。構築できるのは上辺だけ、需要が上辺に浮かんでいるのだから消費されれば終わりとなる。その後、愛と美が育むものは無責任に押し付けられた責任。

 

 リュック・ベッソン監督が高名になられる前に制作した映画、「最後の戦い」で描いたものは中石器時代の原因だったのではないでしょうか。「最後の性戦」と聖杯の関係性から創造された一つの記憶。

 

 

生贄として残された最後の女性への慰安が”射幸土偶”だったのではと思っています。

 

射幸と歴史教科書に記載するにはいかなかったから、遮光器を当てただけ。隠蔽された器として扱われた意味を含めてそう表現されているのかもしれませんね。

 

そろそろ日本皆ランボー。

 

美を追求する者の志が「大志」なのではないでしょうか?

 

そしてこうなる。